モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

毒母ミーティング7 ご報告

今回、漫画家の田房永子先生から依頼され、「毒母ミーティング7『うちの母ってヘンですか?』発売記念」にてゲストとして登壇してきました。今回は前日にメディアに取り上げられたせいか過去最大の入場者数だったそうで、狭いハコが前から後ろまでびっしり。会場の一体感がすごくて、今まで参加したなかで一番「こりゃすげぇ」と思うミーティングでした。ちょっと喋りすぎたかな…と後から少し後悔もしましたが、本当に、会場のパワーに喋らされた!という感じでした。みなさん、あのミーティングを一歩出れば、また過酷な日常の中に帰っていくのだなあと思いながら、だからこそ、ミーティングでは沢山笑って、笑い飛ばして、少しでも「明日もまた頑張って生きていこう」という会になったのではないかと思います。本当に楽しかったです。ありがとうございました。

 

お話させて頂いた中でも私は強調したのですが、毒親についてにせよ発達障害にせよ、共感を得ることがとても困難な話です。当事者すら、自分の心を守るために共感を絶対的に拒否する人というのは多いのです。このミーティングについてメディアで取り上げられたときに、「毒親との絶縁を啓蒙するってどうなんだろ…」という言葉をツイッターで見つけました。そうか、この会は、絶縁を啓蒙する会という位置づけなのか…と私は愕然としましたが、毒親の話というのは共感など全くできない人のほうが多いのです。だから、分からない人、理解しようとしない世間には、「幸せな人」であるふりをして、自分を守ったほうが良いのです。自分の身を守るために、自分の苦しみは隠し続けたほうが良いのです。そして、共感して、自分を否定しない人たちが見つかったとき、初めて自分の苦しみを話してみれば良いのだと思います。

 

発達障害についてもそうでした。

 

私は息子が発達障害だと話すと、「親の育て方が」とか、あるいは「天才児じゃん!」とかいう言葉を沢山かけられてきました。息子が何が辛いのか分からず、ときには将来に絶望すらしているときに、「天才児じゃん!」という言葉の辛かったこと。「だったらあんたが育ててくれよ!!」と思わず叫びそうで、歯を食いしばって話を切り上げたときもありました。でもそれは、相手には全く悪気のないこと。私が何に傷つくなんて、経験していない人には決して知り得ないこと。理解を求めて理解されないことに怒りを感じるのは、他人からすれば困った人でしかないのだなと、私はそのとき理解したのでした。

 

「世間を手玉にとる力がつけば、親のことも手玉に取れる」と私はミーティングで話した記憶があります。これは実は、あのミーティングで一番言いたかったことでした。

 

自分の心を守るために、世間に対しては嘘をついて生きてください。幸せそうなふりをしてみてください。誰もあなたの嘘を見破れる人なんていません。所詮、人間なんてその程度しか他人に興味なんてありません。

 

人に共感を求めるときは、相手を選ぶこと、これがとても大切です。そして先日の毒母ミーティングのように、気持ちを共有できる人たちが一斉に集まったときの、ものすごいパワーと一体感。自分のなかでも、すごく充実感があります。「たどりつけた!」、そういう思いだと思います。

 

当事者同士で大笑いして笑い飛ばして、そしてみんなまた、過酷な日常に帰っていくんだと思います。でも、背負っているものが、ほんの少し軽くなっているはずです。

 

あの日毒母ミーティングにいらっしゃった方々、あるいは動画を視聴してくださった皆さんが少しでも荷物が軽くなって日常に帰っていけたら良いな、と思いながら、帰路につきました。

 

「精一杯頑張ればいいのよ」は意味不明だった

娘:「ママ、ピアノの発表会、間違えたらどうしよう」

私:「間違えてもいいの。それまでの練習で、精一杯やれたらそれでいいの。」

 

娘:「ママ、公文の進級テスト不合格だったらどうしよう」

私:「普段、精一杯頑張ってればそれでいいの。結果じゃないのよ。」

 

これ、二年前ぐらいまで、我が家で普通に繰り広げられていた会話。当時の、私流育児の基本。「結果じゃない。過程が大事。」「精一杯やれば、結果が伴わなくても構わない」そしてその結果、娘はやることなすこと、全部適当にやって、大失敗を繰り返すようになりました。

 

ピアノの発表会は間違えまくって惨憺たる結果でも、全然平気。「だって、練習、精一杯頑張ったもん」とケロッと言う始末。その他のことも、明らかに実力を出し切っていない結果を立て続けに出しては、「だって精一杯やったし」と言うようになりました。やることなすこと、ちっとも成功体験に結びつかず、良いことといえば失敗しても何も気にしない鈍感力がついたことぐらい。で、精一杯やってるかと言われれば、親から見ていても明らかにテキトー。これは、これは、何かが違うぞ、と違和感を感じた時期がありました。

 

そして発達障害の息子を育て始めて、私は娘を育てたときに陥っていたある罠に気づいたのです。発達障害の子どもというのは想像力が欠如しているため、曖昧な言葉を理解することができません。例えば、多動傾向があった息子に「落ち着きなさい」と叱っていた時期がありましたが、「落ち着く」という曖昧な言葉は、発達障害の子どもにとってその状態をイメージすることが難しいのです。なので私は、「何秒間座ってみよう」という風に、具体的な指示に落とし込むように心がけていました。その結果、息子はセルフコントロールはかなり出来るようになりました。

 

そうか!子どもには、「精一杯頑張ればいい」という言葉は、具体的な状態が想像できないんじゃないか!と私は気づいたのです。だから娘は、私がより具体的に示した結果の部分(「ピアノ間違えてもいいよ」「進級テスト不合格でもいいよ」)を実践していたのです。娘にとって「精一杯頑張る」というあまりに抽象的な表現は、私が示した具体的な結果を出すために付随したであろうことに過ぎず、自分の中では全くそのイメージがつかめていなかったのでした。

 

そうか、「精一杯頑張る」ということがどういうことなのかは、まず結果(目標)を具体的に示してあげないといけないんだ、と私は分かったのでした。本人が少し頑張らなければいけない結果(目標)を示してあげて、それを達成したときに初めて、子どもは「精一杯頑張る」ってどういうことなのか、体で覚えていくのです。

 

以後、私は「失敗してもいいよ。精一杯頑張ることが大事だ。」という言い方をやめてみました。先日、娘が漢検受験にチャレンジしたいと言い出しましたが、それは娘の学年よりも一学年分進度が早いものでした。普通にやったら不合格になるだろうから、それなりに本人の努力が要求されるものでした。勇気を振り絞って、「ギリギリでもいいから、合格を目指してね」と私は言ってみました。(自分の育ちに原因があるのかもしれませんが、こういう子どもに結果をあからさまに提示するようなやり方は、私にはとても罪悪感があるのです。)それから娘は30日特訓のような問題集を、毎日毎日コツコツと少しずつやるようになりました。結果は、無事合格。その結果が出たときに初めて、「精一杯やれば、結果が出るんだね」と私は声をかけました。以後、娘が何か不安になっているときは、本人が少し背伸びしないとできないぐらいの目標を設定するようにしています。こうすると、子どもは努力のさじ加減が段々分かってくるようです。

 

子どもって、思ったより曖昧な言葉を理解していないということ。具体的に目標を示して、それを達成して初めて、「精一杯頑張る」ってなんなのかが体で分かるようになってくるということ。私は、学んだのでした。

 

発達障害児を育てていると、親は非常に良い目標設定のトレーニングができます。発達障害児の場合は、かなりハードルを下げて目標設定をします。普通の子が出来て当たり前のことを目標にします。順番を守る、切り替えをしっかりする、座って人の話を聞く、こういった当たり前のことを目標として設定して、それをいろんな場面で提示するようにします。それを達成することで、発達障害児は社会生活をするうえで何が要求されているかを、少しずつ少しずつ体で覚えていきます。

 

「精一杯頑張る」とか「自分なりに一生懸命やる」ということは、それを体で感じていかないと、イメージなんてできないんです。そのためには、結果(目標)が必要だということ、痛感したのでした。

 

鬱病について考えたことを書いてみた

突然ですが、今日はうつ病・うつ症状について体験者にしか書けないことを書き留めておこうと思います。

 

というのも最近、身近にうつ病やうつ症状の診断がくだる人が増えているのですが、どの人も「本当に自分はうつ病?」という認識であることが多いのです。世の中で言われているうつ病の症状のイメージと自身の状態が微妙にズレていること、元から頑張り屋の人が多いので「自分はまだ頑張れる」と思いこんでしまっている場合が多いことが原因かと思います。

 

けれども、私はそうやって「私って実はうつ病じゃないよね?」「もう治ったかも?」という勘違いをしていたところ、寛解に三年を要し、さらに何年もたった今でも後遺症に悩まされています。侮るべきではなかった、これはれっきとした病気なのだ!と気づいたのは最近のこと。

 

ネットで言われているような一般的なうつ病の症状(気持ちが沈んで涙が止まらない…食欲がない…睡眠がとれない…)といったようなことが完全に当てはまるようになるのは、うつがかなり重症になったときであることも多く、また、人によっては「甘えちゃいけない」と思って身体症状しか出ない場合もあります。

 

私の周りでうつと診断された人たちは、普通に食事も美味しそうに食べていたし、夜も眠れていたし(ただし何度も目が覚めるなど、質の問題はあったらしい)、仕事もはたからみたら致命的なほど遅滞している感じではありませんでした。ただ、毎朝毎朝、原因もなく吐いてしまう。職場にくると、「今日は体調がいいな」と思っている日でも、予告なく突然吐き気が襲ってきて、吐いてしまう。ただ、それだけでした。

 

私がうつと診断されたときもそうでした。「気持ちが落ち込んでいる」という自覚はほとんどなかったです。食欲はもとから旺盛なほうでもなかったので、特に注意していませんでした。自覚症状としてあったのは、突然くる貧血、吐くほどひどい肩こり、耳が詰まって聞こえにくくなったり、喉がつまったようになる症状、そして朝3時とか4時に目が覚める症状でした。涙が流れるとか朝起き上がれないとかがあれば自分でも気づけたのですが、自分の気持ちとしては至って元気。だから、心療内科でかなりうつの症状が重いですね…と言われたときは、なんのことやらわかりませんでした。

 

うつと診断されてから、私は狂ったように人と連絡をとり、会ったり飲んだりする日々が続きました。そして、会っていろいろ励まされては、「なんだか人生が上向いてきた気がする!」と喜んでいました。うつの人には頑張ってと言ってはいけない、という話が有名だったので、励まされてもちっとも落ち込まない自分は、うつじゃない!と確信していました。

 

今思うと、これはうつの仕業である「焦燥感」から引き起こされる行動だったのですね。いてもたってもいられない。とにかくじっとしていられない。人生の先行きが不安で不安で、行動することでそこに目を向けないようにする。

 

身体症状が出ることと、行動すること、というのは、実はうつ病では同じ機能を果たしていると思います。どちらも、「ストレスの根本」あるいは「ストレスで自分がつぶされかけていること」から、注意を逸らす役割があるのです。うつ病になったら、まずは自分が極限的なストレスに晒されていることを自覚しなければ治療など進まないわけですが、行動することによってそのストレスを見ないようにできてしまいます。あるいは、身体症状に注意を取られることによって、ストレスを感じている自分から目を逸らそうとします。真面目であれば真面目であるほど、そういう方向にいきがちなのです。結果、気づいたときには、治るまで何年もかかるほどの重い状態に移行しているのだと思います。

 

うつと診断されても、人と会いまくって、励まされて、一念発起して環境を変えて!ということを続けた私は、遂に起き上がることができなくなりました。うつの影響で血流が滞って、化粧をしても能面のような顔。夏でもガタガタ震えるほどの冷え。人に会うことなどとてもできない日々が続きました。

 

そして、慢性的に気分が塞ぐわけではないのが曲者でした。慢性的に気持ちが塞ぐのではなく、調子が良いときと悪いときというアップダウンの差が大きいのです。 なので、調子が良いときは、「なんか良くなったかも!治ったかも!」と勘違いをしてしまう。そして無駄に活動してしまい、その後地獄のようなうつがやってくる。治ったと勘違いした後のうつは、それこそ生き地獄でした。私のうつ治療の場合は、慢性的なダウンを改善するというよりは、アップとダウンの差を埋めていく作業という感じでした。(このあたりは躁うつ病の可能性もあったので、該当しないかもしれませんが)

 

なんだか周りで「うつ病じゃないのに、うつとか診断された。私、甘えてない?」というような認識の人が結構多くて、昔の自分を思い出したので記事にしてみました。

 

甘えてないんです。うつの典型的な症状が出る前に、自分が極限的なストレスを感じていることを自覚したほうが絶対良いです。典型的な症状を基準にして考えると、自分がストレスでつぶれかけていることも気づかず、症状を悪化させてしまいます。「がんばって」と言われて辛くなる人ばかりじゃないのです。「まだまだ頑張れる」と思いながら、知らず知らずのうちに坂道を転がり落ちるように症状を悪化させていく人が沢山います。

 

気持ちが沈んでいなくても、まだまだ頑張れると思えても、体の声をしっかり聞ける力をつけること。これが大事なんだなあと、私は三年間のうつ病期間を通して、感じたのでした。

 

独りになっても、生き延びる力

ブログを二か月も放置していました!こんにちは、お久しぶりです。

 

ここ二か月、息子の成長が目を見張るようで、とにかく毎日毎日彼の成長を見て、ノートに記録し、いろいろと勉強したり、発表したりということにほとんど全ての時間を費やしていました。とても、充実した時間でした。

 

娘(8歳)はすっかり手がかからなくなりました。あと二年もすれば、私も少しずつ、親離れ子離れの準備にかからなければならないかなあ…と漠然と感じるようになりました。

 

「手がかからなくなった」という表現は曖昧で分かりにくいのですが、育児というのは子どもがある地点まで成長したときに、ふっと「あ、もう大丈夫」と肩の力が抜ける瞬間があります。それは、勉強が一人でできるようになるとか、親より友達のほうが大事になるとか、そういう表面的なものとはちょっと違う気がします。

 

私が娘の育児でふっと肩の力が抜けて、少し距離を置いて子どもを眺めることができるようになったのは、実はこう思ったときでした。

 

「この子は不慮の事態で一人になってしまっても、もう死なない。なんとか生き残れる。」

 

例えば私が出先で病気になって倒れて、帰宅できなくなったとしても。変な話、私が突然命を落とすようなことがあっても。娘は、携帯電話で父親やじじばばに電話をかけて異常を知らせることができるだろう…、隣のご一家とも随分仲良くやっているようだから、まず隣のご一家に助けを求めるはずだ…、向かいの地主さんの家にもよく遊びに行ってるようだから、そこにも助けを求められる…、というように、何かあったときに彼女が助けを求めることのできるネットワークが、私の頭に浮かぶようになってきてから、私の気持ちはとても安らかになったのです。育児の第一段階が、終わったような、そんな誇らしい気持ちになったのでした。

 

親はいつか、子どもとは手を放します。子どもも、次第に親の手を離れていきます。それまでに親がやることは、子どもを全力で守ること以上に、子どもが自分の命を確保するために必要な社会的ネットワークを築くことなんじゃないかと思うのです。子どもが不慮の事態で一人になったときに、親以外に「助けてください」と言える誰かが頭に浮かぶようになること、それが親離れ子離れに先んじて、やるべきことなのかもしれません。

 

息子が発達障害の診断がくだってから、私は「親が全力でこの子の人生を守っていかなければ…」という重い気持ちに押しつぶされかけていたことがあります。発達障害の子はどうしてもイジメに遭いやすい、勉強も遅れることが多い、運動も苦手な子が多くコンプレックスを持ちやすい、、どうにかして、この子を世間の荒波から守ってやらなければ…、私はそう思っていました。

 

でも、そうじゃないのかもしれない…と最近思うようになりました。

 

「困っています。助けてください。」と言えるネットワークを増やす手助けをしていくことの大切さ、これは発達障害の子でも定型発達の子でも、関係ないと思うのです。

 

息子はまだ、私が放置してしまったら、いとも簡単に命を落とすと思います。つまり、「手が離れていない」状態です。でもこれから幼稚園が終わり、小学校に入り…という時間の流れのなかで、万が一独りぼっちになって困っても、「助けてください」と言える社会的ネットワークを築く努力をさせること、これが、「守り続ける」ことよりもずっと大切なことなのだと、分かりました。

 

全部自分で抱えこんで病んでしまう子もたくさんいます。私のように、親以外に「助けて」と言ってはいけないという風に教育されて、大人になっても苦しみ続けてきた人間もいます。

 

「あなたの周りには、あなたを助けてくれる人が沢山いる」

 

これを教えていくことが、「守り続ける」ことよりも大切なことなのではないでしょうか。じょじょに手を離れていく娘と相対しながら、感慨深い気持ちでそんなことを考えています。

 

イイトコサガシにもテクはいる。だからこそ。

以前、体操教室をクビになった(という表現のほうがしっくりくる…笑)息子。(詳しくはこちらをご覧ください。)もう普通の習い事はきれいさっぱり諦め、隣町にある音楽療法の教室に通い始めました。この教室は、スペシャルニーズのある子どもたちのみが通う教室です。先生は総勢8~10名。この人数で息子一人を見ます。それだけ発達障害児を教えるのって「テク」と「知識」がいるんですよね。そして、いつも先生たち汗びっしょりです。

 

「やりたくないことは絶対やりたくない」という息子。それに対して、「まずは一つのことを終わらせてみる」「終わらせたら、楽しいことが待っている」という流れを作り出す先生たち。そして息子の頭の回転は超高速で、少しでも退屈させたらもうそこで騒ぎ出しますから、先生たち、とにかく間髪入れずに走り回ります。そりゃもうすごい。

 

レッスンの間じゅう、息子、いっぱい笑いました。そして初めて、山ほど褒められました。「○○くんは頭の回転が速いよ!すごいね!」「○○くん、飲み込みが早い!」「○○くん、いっぱい笑って、すごいね!」と。息子にとって、習い事で褒められるのは初めての経験。それまではずっと、「○○くん!!座って!!話を聞いて!!ふらふらしないで!!」と怒鳴られ続けてきたのですから。

 

レッスンが終わって帰ろうとしたときに、息子は「帰りたくない」と泣きました。彼にとって、きっとそれは夢のような体験だったのです。きちんと言われたことができた!そしてそのことをこんなに褒められた!家に帰ってからもずっと「おんがく、次はいついくの?」と私に何度も何度も聞いてきます。息子が、習い事関連で「次」を楽しみにすることなど、今まで決してありませんでした。

 

体操教室から帰ってきたときに、「僕はできない子なんだ」と私に言ったときの息子の目、私は決して忘れることはできません。どうして先生の言うことが聞けないのか、どうしてみんなと同じに動けないのか、私自身も情けなくて情けなくて、でも私以上に「どうして自分はこうなんだろう」と思っていたのは息子だったんですね、多分。

 

窓際のとっとちゃんで有名な黒柳徹子さん。彼女も発達障害だったと言われていて、公立の小学校を退学にさせられているんですね。その彼女を受け入れてくれたともえ学園という学校で、校長先生が彼女にこう言うのです。「きみは、本当はいい子なんだよ」と。黒柳徹子さんはこの言葉に支えられて、自己肯定感高く生きてこられたんだそうです。 

 

発達障害児に限らず、子どもを褒めて育てるというのは大切だと言われます。そんなん当たり前のことです。でも、母親として毎日子どもと接していると、褒めて育てるってのがとても難しい(笑。私なんて、特に問題なく育ってる娘ですら、周りと比べてしまってしんどくなることがよくあります。 褒めてあげたいけど、「この程度でしらじらしく褒める自分がイヤだわ~」とか考えてしまって、それがまたストレスになっていったり。

 

だから私はこう考え直しました。確かに親が子どもを褒めて育てるのは大事。だけど、それはそんなに気負って考えるのはやめよう。それよりも、自分の子どもを褒めてくれる人がいる環境を、全力で探そう!

 

発達障害児を褒める環境を探し当てるのはそりゃ大変です。普通の子たちと混ざっていたら、「どうしてこんなことができないの!!」と叫びたくなるようなことばかり。当然、十派ひとからげで面倒を見ている先生も、あからさまに邪魔者扱いします。

 

発達障害児の「イイトコサガシ」は、それなりのテクと知識を持った人じゃないと無理なんです。専門家の凄さはそこなんです。どうやったって悪いトコが引き立ってしまう子どものイイトコが出てくるように動けることなんです。

 

発達障害児じゃなくてもなくてもこれは同じこと。子どもを褒めて育てるのは大変なことだから、子どもを褒めてくれる環境を探し出す、これが親の役割だと思えば、少し気が楽になります。

 

「自分は出来ない子なんだ」と二か月前にうなだれていた息子。「君はとても力のある子なんだよ」と先生がたに言われたことで、いろんなことに挑戦できるようになりました。あのままお尻を叩いて怒号を飛ばしながら体操教室を続けていたら、息子はどうなっていたのだろうと今になってみると恐ろしいです。

 

「君は本当は素晴らしい子なんだよ」

 

この言葉の魔法はすごい。親以外の人に言われることの価値は、そりゃもうすごいものがあります。

 

どんな子どもにも「イイトコ」はある。しらじらしい感じのする言葉ですが、それでもやっぱりそう信じて生きていきたいです。

事後報告ばんざい!

最近の自分、大きな決断を結構サクサクとやってしまっていることに気付きました。お金もドーンと出ていくし、失敗したときのリスクも大きい。けれども、まあまずくなったときは頑張ろう、ぐらいの気持ちで決断をしています。親から離れて移住したことが、精神的には一番負荷の伴う決断でしたけどね。

 

子供の自立を阻んで自分のもとに居させようとする親は、子供が何かを計画してワクワクしているときに冷や水をぶっかけるようなことばかりいってきます。「そんな人生簡単じゃない」「若気の至りだよ」などと言って、ワクワクする気持ちを持つことに罪悪感を持たせるようにしてきます。

 

そして、脅されて、失敗を恐れながらやったことは、十中八九失敗するんですね。そうすると親が言うんです。「ほらね、お母さんがあれほど言ったじゃない…」「お母さんはあなたのことは何でも知ってるんだから、お母さんの言うことを聞かないあなたがいけないのよ…」

 

結婚した当初、私は夫に何度も言われました。「なぜあなたは親に許可を得ないと何かの決断ができないの?」「自分の計画を親に話したって、いいこと言われないの分かってるでしょう!」「それが分かっていて、どうしてわざわざ親に相談するの?許可を求めるの?」「あなた、大人でしょう」と。

 

頭では夫の言っていることは理解できる。でも、親の許可を得ずに計画を進めたら、絶対に失敗してしまうと心のどこかで思っている自分がいたのです。そして、失敗したときに、親になじられる、叱られる、それは困る…と。

 

今思うと、私は長い時間をかけて、「自分自身で勝手に決断したことは全て失敗する」「親にゴーサインを出してもらったことだけがうまくいく」という脅迫的な思い込みを植え付けられていたのでしょうね。

 

計画段階で全て親に話してしまうものだから、何かにワクワクするという気持ちがどんどん削がれていきました。ワクワクすると、全て親に難癖をつけられるからです。

 

私が大人として今の生活を心の底から楽しめるようになったのは、「親には事後報告」(あるいは報告しない)ということが徹底してできるようになったからです。何かを計画していてワクワクするときは、それは一切親には話さない。全てが整い、「もう後にはひけない」段階になって初めて、親には一言言っておく。ただこれだけです。これが私の毎日を変えました。

 

何かを計画するときは、ワクワクするものです。そのワクワクは、自分だけのもの。誰のものでもないのです。親になんか、そのワクワクを聞かせて差し上げることないんです。自分だけのものとして、精一杯大切にするべきです。

 

親には事後報告でも、不幸になんかなりません。ワクワクする計画期を楽しんでください。後戻りできないところまできたら、失敗しても成功しても自分の責任です。精一杯、それに取り組んでください。後戻りできないところで報告されても、親はもう何も言えません。全て白紙に戻せというのであれば、あんたがやり直してくれと言い返せばいい。

 

親には何も話さなくていい。自分の大切なことを、イヤな人間とシェアする必要なんてないのです。大切なことは自分だけのもの!ワクワクする気持ちは、自分だけの宝物です。

私がスピリチュアルにはまっていた頃

私の周りにはスピリチュアル(以下スピ)にはまっている人がとても多いです。夫の妹も、オーラを浄化するスプレーだとかパワーストーンのブレスレットのインターネット販売などをやっています。これがまた、儲かるそうです。

 

かくいう私も、数年前、スピにはまっていた時期がありました。スピの勉強会や集まりには足しげく通っていましたし、毎日「オポノポノ」を実践し、通勤バスの中で「ごめんなさい 許してください ありがとう 愛してます」と唱えました。嫌いなママ友に会わなければいけないときは、オーラを浄化するスプレーを吹きかけ、スピのヒーラーに教わった通り「オーラにバラの花がシールドを作るイメージ」を作って、出かけたものです。

 

ふと気づいたら、親と遠く離れた場所に引っ越して以来、とんとスピのことを考えていませんでした。本棚に増殖を続けていたスピ関連の本は、発達障害関連の本に取って替わられていました。

 

スピに傾倒していた当時、私は両親と同居していました。娘が幼稚園を卒園するまでは我慢しよう、そう思っていたので、とにかくどんなに追い詰められてもその場で頑張るしかありませんでした。

 

スピの集まりに行くと、毒親に身も心も破壊されかけていたけれども、スピに救われたという人がそりゃ多かった。すごいときには、スピのヒーラーさん(先生みたいなもん)が、「モビゾウさんのブログを読んで毎日大泣きしている」と言ってきたほどでした。スピとは一体どういうものなのか、なぜ毒親持ちの救いになるのか、ここで落ち着いて考えてみました。

 

ここで私が尊敬する(笑)、加藤諦三先生の言葉を引用してみたいと思います。

 

モラル・ハラスメントをする人は、「あなたのため」というモラルにしがみつく。「家族のため」というモラルにしがみつくサディストの親がいる。同じように、「あなたのため」というモラルにしがみつく多くの人々が、職場にも学校にも公共の場にもいる。

 

モラル・ハラスメントをする人は、自分は素晴らしいことをしているつもりで、相手の心を引き裂いている。自分の中のサディズム的衝動を満足させつつ、自分は聖人だと思っている。

 

モラル・ハラスメントをする人は、自分が「愛」と思い込んでいたのは、サディズムが変装した姿であると理解できない。自分は相手を愛してるのではなく、相手をサディズムで支配していたのだということが理解できない。

 

毒親だけではなく、会社の上司にせよ、友人にせよ、「愛」「友情」「みんな仲良く」という「きれいごと」を振りかざして相手を支配しようとする人は沢山いて、こういう人たちに関わると、心身ともに壊滅的なほどにボロボロにされます。本当の悪人は、善人の仮面をかぶって現れます。

 

こういう支配から脱却するためには、「愛…って?なんだ?」「みんな仲良く…って本当に大切か?」「あなたのため思って…って、結局自分のためじゃないの?」という風に、「きれいごと」に疑問符をつけていくことが必要になってきます。疑問を持てるところまで来られたら、もうそれは脱出間近なのです。「立派な言葉」「美しい言葉」に抗うことは、強い罪悪感を伴いますから、そこに疑問を呈することはそんな簡単ではないのです。

 

さて、そこでスピというのは、ですが。この「愛…とは?」という疑問を上から塗りつぶすように、「人は愛だ!」「愛は幸せだ!」「みんなに感謝!」「みんなありがとう!」ということを強制的に自分に考えさせるものです。言霊とでもいいましょうか、「愛だ!」「幸せだ!」「感謝だ!」と言っていれば、人は幸せになるんだよ~というのが基本的な考え方。

 

これ、決して悪いものではないと思うんです。疑問を呈したからといって、逃げられない状況の人というのは沢山います。ひとたび疑問を持ってしまったら、もう生きていくのが辛すぎる状況の人というのは沢山いると思うのです。私は親と同居していて本当に辛かったけれども、娘の幼稚園が終わるまではどうしても衝動的に逃げるわけにはいかなかった。我慢しなければならなかったのです。そのとき、私は強烈にスピに惹かれました。親にバカにされながら「派遣社員」として通勤するなかで、ふと気づくと死にたくなる自分がいました。そんなとき、私はひたすら「ありがとう ごめんなさい 許してください…」とオポノポノを唱えました。仕事が終わっても、帰るのは親の家です。お疲れ様と言ってもらえるわけでもない、「どうせ派遣だろう」という暴言に耐えなければならない。その現実を見ないために、私はオーラスプレーを何度も吹きかけたのを覚えています。

 

「きれいごと」による支配に気づく、というのは大変なことです。しかしそれは、大変な負荷を自分の生活にもたらします。いてもたってもいられないような罪悪感と苛立ち。そして、逃げ道が確保できないときは、それこそ地獄です。

 

スピは宗教ではありません。私のように、思わしくない状況から逃げ延びることができたら、忘れてしまっても誰も責めません。誰に忠誠を誓ったわけでもないからです。

 

私は確かにスピから離れて、根っこの部分にあった自分の苦しみに向き合った後のほうが幸せにはなれました。でも、スピに救われているという人を、否定する気持ちは全く起こりません。

 

人生は思うようにいかないことだらけです。針のむしろのような生活から、どうやったって逃げられず、とにかく生きていくだけで精一杯の人たちもたくさんいます。そういう人たちに「苦しみに向き合え!!」ということほど傲慢なことはありません。一生苦しみに向き合いたくないのであれば、それはその人の自由です。大切なのは苦しみに向き合うことではなく、生き延びることだから。

 

私は、今もスピには感謝しています。