モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

私はあなたを受け止めることはできません

ここ数日、アスペルガーの娘さんが家で激しく暴れるというママの話を聞いていました。発達障害アスペルガーの子どもは小学校高学年から思春期にかけて荒れることが多いと聞きます。アスペルガーの子は自分自身、どこに怒りのツボがあるのかもわかりません。何が苦しいのかもうまく表現できません。とにかく苦しい。そして、怒りの感情の制御もうまくできません。一度暴れ始めると、暴れる自分がイヤでイヤでたまらず、また暴れます。

 

「なんとか受け止めてあげたい」「何が苦しいのか理解してあげたい」というのがご両親の大抵の反応です。しかし悲しいかな、受け止めてあげたい、理解してあげたい、と思えば思うほど、お子さんの暴力はひどくなっていくばかり。

 

私も例に漏れず小学校高学年から激しく荒れ始めたわけですが、私は母に対してその怒りや苦しみをぶつけることはできず、専ら学校でその攻撃性を表出していました。当然、小学校史上なかなかみない問題児に。しかも、私は先生や同級生の言う綺麗事や論理の破綻が許せないタイプでした。激しい攻撃は言葉の暴力となって教室内に響き渡りました。六年生の頃の担任には「なぜ大人に向かって、大人すらぎょっとするような口の利き方をするのか。子どもとはとても思えない。忌まわしい」とまで言われるありさまでした。

 

こうやって荒れていく子ども。何が苦しいのかも表現しないままに、相手に容赦ない攻撃をしてくる子ども。日々その脅威にさらされながら「どうやって受け止めてあげたらいいですか」と言われたとき、私ははっきりこう言いました。「『あなたが暴れたら、私は壊れます。あなたが暴れたら、すぐに私は逃げます。あなたが暴れても、私は受け止めることができません。』そう示し続けないと、ずっと暴力はやまないと思います」と。

 

私は自分の中の苦しさを結婚した後も消化することができず、毎日のように家で暴れていた時期がありました。夫は私が何を言ったら怒り出すか、予測することができなかったといいます。何かを契機に起こり始めると、どんな言葉をかけても落ち着かせることができない。怒って叫ぶ自分の声にイライラして、ますます怒りが増長する始末。夫は常になすすべもなく、それでも「どうしたらこの人の苦しさを和らげてあげられるのか」ということを考えて一生懸命だったそうです。そういう生活が二年続いて、ついに夫の心は壊れました。仕事が激務だったりということもあったでしょうが、夫は暴れて怒り狂う私との生活に疲れ果てていたんだと思います。うつ病の診断。夫は一年間の休職を余儀なくされ、私たちの貯金はあっという間に底をつきました。

 

夫が倒れて、自分の生活も窮地に陥って、私は「私のせいで彼が壊れた」という事態に愕然としたのでした。それまで、夫はずっと受け止めてくれると思っていたんだと思います。夫は自分が倒れたことで、私と距離を置くようになりました。私が感情を爆発させても、「僕はあなたの怒りの感情を受け止めることができません」と言って、出ていくようになりました。彼に距離を置かれてやっと、私は自分の怒りの感情を分析し、anger controlの方法を自分なりに学ぶようになりました。

 

私は専門家ではないので、荒れて暴力を振るう子どもについての対処法はよく分かりません。が、少なくとも発達障害の子どもが苦しさから荒れることに関しては、「なんとかして受け止めてあげよう」「なんとかして理解したい」と思って「寄り添う」努力をしても、攻撃性をおさえることはできないような気がしているのです。

 

うちの息子が一時期ひどい癇癪を起こしていた時期がありました。発達障害の子どもはよく癇癪を起こします。激しい拘りと、物事がその通りに進まないことに関しての怒りが自分でコントロールできないからです。私は、息子が癇癪を起こしても、一切態度を変えませんでした。彼の地雷を踏んでしまったら、なだめすかすなんて無理。かといって、自然におさまるのを待っていたら、一時間でも二時間でも怒り続ける。

 

手もあげない。大きな声も出さない。かといってなだめたりすかしたり抱きしめたりもしない。私は私のやることを淡々とやりながら、息子に大判のタオルを渡す。息子は怒り狂いながら、自分の顔をタオルにうずめ、しつこく自分を苦しめる思考が遮断されるのを待つのです。「私はあなたの激しい怒りの感情を受け止めるのは無理です」「私はあなたが暴れたら怪我をするので安全を確保します」「私は私の身の安全と精神的な安定が一番大事です」という徹底した立場表明を息子に見せることで、息子は少しずつ自分のanger controlのやり方を学んでいっている気がします。

 

「私の苦しみ」と「あなたの苦しみ」は違うのです。私はそれをいつも意識して生活しています。息子は発達障害の拘りゆえの苦しみがあって暴れるのかもしれない。でも、それは私の苦しみではありません。私は、息子が暴れて、大きな声を出していることが「私の苦しみ」です。「私の苦しみ」と「あなたの苦しみ」の混同が、親子間では容易に生じます。だから、「理解したい」「受け止めたい」という気持ちで子どもの暴力と向き合い、事態はますます悪化するのかもしれません。

 

人は、親子であろうとも、相手を真の意味で「理解する」ことはできません。それを分かったうえで相手に接することが、ひいては相手の存在を尊重することではないかと近頃思うのです。