モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

The best is yet to be!

今朝はとりだめした「花子とアン」をまとめて視聴して、泣き過ぎて息が出来なくなった私です。ブログの更新、久しぶりです。一か月以上あいてしまいました。

 

今の仕事場にきて、一年と少しが過ぎました。以前の職場では英文和訳が中心でしたが、現在の職場は9割は和文英訳です。当然、英文和訳よりも和文英訳のほうが私にとっては敷居が高い感じで、正直、今の職場に入った当時は「自分では使い物にならないんじゃないか」という不安で、夜も眠れませんでした。手探りの状態で毎日毎日コツコツと仕事を積み重ねていくうちに、「なんだか少し仕事のクオリティに自信がついている?」という状態になってきた気がします。

 

自分にとって「仕事に自信を持てる」というのは実は大変な変化なのです。私は学生時代のバイトの時分から、「自分は仕事ができない」というコンプレックスに取りつかれ、家庭教師や塾講師といった一部の仕事を除いては、「自分なんていないほうがいい」「みんな自分を邪魔者だと思っている」と思いながら生きてきました。手先は不器用、電話を取りながらメモが取れない、異常におっちょこちょい、販売などでアルバイトをすると、同僚の女の子たちに「いい大学行ってても、仕事のできるできないとは別ですよね~」と嫌味を言われるのが辛かったこと。さらに、「コミュ障極まれり」みたいなタイプだったので、同年代のアルバイトさんたちの輪の中に入れません。みんながロッカールームでクスクス笑いながら着替えをする横で、逃げるように着替えて走って帰っていました。

 

私が大学院に進学したのは、研究をやりたかった以上に、社会に出る自信がどうしても出てこなかったからかもしれない。。それを認めるのは悔しいことですが、当時の私は会社に入った後の自分のことを想像するだけで、将来が真っ暗に見えました。

 

「自分は仕事ができない」と思って苦しんでいたあの20代前半の頃。今、あれからおよそ20年の時がたって。私はよくぼんやりと考えることがあるのです。

 

20代の頃の「仕事ができる」と、年を重ねてからの「仕事ができる」は違うのかもしれない…と。

 

20代の頃、アルバイターや新卒の初々しい頃というのは、とにかく「周りのことによく気が付く」「どんなことでもサクッとできる」「周囲の空気を読んで、協調性がある」といったことが「仕事ができる」ということになります。20代の頃、私はこういう「周りに気配りができる」人たちに、「いい大学出てるくせに仕事はできない」という言葉をあからさまに投げつけられてきました。

 

でも、いつからだろう。流れが変わり始めたのは。確かに、どこかでこの流れが変わり始めたのです。

 

友人で「私は、企画、広報、ブランディング、人事、経営と、何でも任せられてきた。14年社会人やってきた。どんな仕事を与えられてもできる自信がある。」と言って転職活動をしているけれど、なかなか思ったように進まないという人がいました。年齢を重ねていくと、「何でもできる」=「仕事ができる」ということではなくなるのかもしれません。それよりも、どんなスペシャリティがあるのか、どんなことをコツコツと積み重ねてきたのか、それを問われてくるのかもしれません。

 

さらに、年を重ねれば重ねるほど、「協調性があってよく気がつくということが応募のウリになる仕事」というのは、なぜか競争率が高くなっていきます。一般事務などは、ちょっとした短時間のパートでも競争率が5倍10倍に跳ね上がるのです。ところが積み重ねたスペシャリティがあると、この競争率がぐーんと下がる。そして年齢を重ねれば重ねるほど、自分自身の「経験値」が評価されるようになります。

 

 20代の頃の「仕事ができる」は、40代50代の「仕事ができる」とは違う、これが分かっていたら、あの頃の私はあんなに涙を流さずに済んだのかもしれない。「何でもできる」が評価されるのが20代だとすれば、「何かが特にできる」が評価されるのが40代50代なのかもしれない。

 

だから、バカにされても、ふてず、くさらず、日々「自分のやるべきこと」を積み重ねてきて良かった、と今になって思う。息子がいざ就業先で苦しむことがあっても、私は「20代の景色を全てだと思わないこと」と本人に言い続けていこうと思います。こんな風に仕事が楽しめる日がくるなんて、若い頃は思いもしなかったです。

 

そんなことを考えていたので、「花子とアン」とブラックバーン校長のスピーチは沁みました。泣き過ぎて、喉がおかしくなりました(笑

 

My girls!

Grow old along with me, the best is yet to be.

わたしの愛する生徒たちよ
我とともに老いよ 最上のものは なお後にきたる

If some decade later,
you look back on your time with us here
and you feel that these were  the happiest days of your life,
then i must say your education will have been a failure.

今から何十年後かに あなた方がこの学校生活を思い出して、
あの時代が一番幸せだった、楽しかったと 心の底から感じるのなら、
わたしはこの学校の教育が 失敗だったと言わなければなりません。

Life must improve as it takes its course.

Your youth you spend in preparation
because the best things are never in the past, but in the future.

人生は進歩です
若い時代は準備のときであり、
最上のものは過去にあるのではなく将来にあります

I hope that you pursue life,
and hold onto your hope and your dream
until the very end of the journey.

旅路の最後まで
希望と理想を持ち続け 進んでいくものでありますように