モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

「精一杯頑張ればいいのよ」は意味不明だった

娘:「ママ、ピアノの発表会、間違えたらどうしよう」

私:「間違えてもいいの。それまでの練習で、精一杯やれたらそれでいいの。」

 

娘:「ママ、公文の進級テスト不合格だったらどうしよう」

私:「普段、精一杯頑張ってればそれでいいの。結果じゃないのよ。」

 

これ、二年前ぐらいまで、我が家で普通に繰り広げられていた会話。当時の、私流育児の基本。「結果じゃない。過程が大事。」「精一杯やれば、結果が伴わなくても構わない」そしてその結果、娘はやることなすこと、全部適当にやって、大失敗を繰り返すようになりました。

 

ピアノの発表会は間違えまくって惨憺たる結果でも、全然平気。「だって、練習、精一杯頑張ったもん」とケロッと言う始末。その他のことも、明らかに実力を出し切っていない結果を立て続けに出しては、「だって精一杯やったし」と言うようになりました。やることなすこと、ちっとも成功体験に結びつかず、良いことといえば失敗しても何も気にしない鈍感力がついたことぐらい。で、精一杯やってるかと言われれば、親から見ていても明らかにテキトー。これは、これは、何かが違うぞ、と違和感を感じた時期がありました。

 

そして発達障害の息子を育て始めて、私は娘を育てたときに陥っていたある罠に気づいたのです。発達障害の子どもというのは想像力が欠如しているため、曖昧な言葉を理解することができません。例えば、多動傾向があった息子に「落ち着きなさい」と叱っていた時期がありましたが、「落ち着く」という曖昧な言葉は、発達障害の子どもにとってその状態をイメージすることが難しいのです。なので私は、「何秒間座ってみよう」という風に、具体的な指示に落とし込むように心がけていました。その結果、息子はセルフコントロールはかなり出来るようになりました。

 

そうか!子どもには、「精一杯頑張ればいい」という言葉は、具体的な状態が想像できないんじゃないか!と私は気づいたのです。だから娘は、私がより具体的に示した結果の部分(「ピアノ間違えてもいいよ」「進級テスト不合格でもいいよ」)を実践していたのです。娘にとって「精一杯頑張る」というあまりに抽象的な表現は、私が示した具体的な結果を出すために付随したであろうことに過ぎず、自分の中では全くそのイメージがつかめていなかったのでした。

 

そうか、「精一杯頑張る」ということがどういうことなのかは、まず結果(目標)を具体的に示してあげないといけないんだ、と私は分かったのでした。本人が少し頑張らなければいけない結果(目標)を示してあげて、それを達成したときに初めて、子どもは「精一杯頑張る」ってどういうことなのか、体で覚えていくのです。

 

以後、私は「失敗してもいいよ。精一杯頑張ることが大事だ。」という言い方をやめてみました。先日、娘が漢検受験にチャレンジしたいと言い出しましたが、それは娘の学年よりも一学年分進度が早いものでした。普通にやったら不合格になるだろうから、それなりに本人の努力が要求されるものでした。勇気を振り絞って、「ギリギリでもいいから、合格を目指してね」と私は言ってみました。(自分の育ちに原因があるのかもしれませんが、こういう子どもに結果をあからさまに提示するようなやり方は、私にはとても罪悪感があるのです。)それから娘は30日特訓のような問題集を、毎日毎日コツコツと少しずつやるようになりました。結果は、無事合格。その結果が出たときに初めて、「精一杯やれば、結果が出るんだね」と私は声をかけました。以後、娘が何か不安になっているときは、本人が少し背伸びしないとできないぐらいの目標を設定するようにしています。こうすると、子どもは努力のさじ加減が段々分かってくるようです。

 

子どもって、思ったより曖昧な言葉を理解していないということ。具体的に目標を示して、それを達成して初めて、「精一杯頑張る」ってなんなのかが体で分かるようになってくるということ。私は、学んだのでした。

 

発達障害児を育てていると、親は非常に良い目標設定のトレーニングができます。発達障害児の場合は、かなりハードルを下げて目標設定をします。普通の子が出来て当たり前のことを目標にします。順番を守る、切り替えをしっかりする、座って人の話を聞く、こういった当たり前のことを目標として設定して、それをいろんな場面で提示するようにします。それを達成することで、発達障害児は社会生活をするうえで何が要求されているかを、少しずつ少しずつ体で覚えていきます。

 

「精一杯頑張る」とか「自分なりに一生懸命やる」ということは、それを体で感じていかないと、イメージなんてできないんです。そのためには、結果(目標)が必要だということ、痛感したのでした。