モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

一日の目標はよりよき眠り。

先日何気なくツイートした内容が、意外にいろいろな反応を頂いたので、ちょっとこれについて書きたい気分になった。

 

該当ツイートは以下。

 

 モビゾウ@孵化しますた@Movizoo2月14日

夜普通に眠れるって最高に幸せなことだよ。これ、一度不眠に苦しむと痛感するから。あたし、仕事がどうだろうと育児でイライラしようと、夜眠れるだけで全てオーライだと思って生きてる。そしてそう思って生きてると、寝れば嫌なことも忘れるようになる。

 

モビゾウ@孵化しますた@Movizoo2月14日

あたし、子供のことは割と適当なんだけど、夜決まった時間に寝せることと、朝決まった時間に起きることにはすっげえ厳しいの。親が子供に与えられるのは正しい生活習慣だけだと思ってる。それは自分が鬱やった経験からの拘り。

 

私が入学した大学は、当時「アメリカの大学並みに課題がキツイ」というのが売りで、課題のために大学に泊まることが普通だということを大学全体で自慢にしていた。課題のために大学に泊まることを「残留」と呼び、夜22時ぐらいになると各部屋を用務員さんが回ってきて、「残留届」というのを記入させられた。学生は「三連チャンで残留だよ~」「やべぇ、今日は残留決定」などと言い合うしきたりがあって、これがまた当時の私たちにはちょっぴりオシャレだったのだった。

 

「寝ないで頑張る」「寝る間も惜しんで成果を出す」って、若い頃の私には憧れだった。私にとっては「寝ないで頑張るほど好きな何か」を見つけることが、人生の目標だった。「寝食を忘れるほど好きなこと」ね。授業が終わったらさっさと家に帰るなんて格好悪いと思っていたし、残留続きで体から異臭が漂う男子は、キモイけど、素敵だと思った。そうだ、自分も絶対こうなりたいと。私はそんな気持ちを持ちながら大学院に進学した。研究は、やっと見つけた「寝食忘れるほど好きなこと」だった。私は朝の3時4時まで本を読み、論文を書き、翌日は昼前にゴソゴソと起きてきて研究室に向かった。あーやべぇーあたし格好いいー、憧れのあの感じだわーと思っていた。幸せだった。

 

29で子供を産み、育児と研究のダブルコンボのタスクをこなそうとしたら、睡眠時間は面白いほど削られていった。それでも頑張っても頑張っても、私は「まだまだ!」と思っていた。成果は面白いように出たし、睡眠時間なんてむしろ邪魔だと思っていた。

 

が。

 

変調を感じ始めたのは30歳になってすぐだった。夜何時に床に入っても、早朝3時か4時に目が覚めるようになった。以降、全く眠れない。これがうつ病の症状の一つである「早朝覚醒」であるということに気付いたのはだいぶ後で、私は「気を張っていると、朝も自然に早く目が覚めるんだよね!」と夫に自慢していた。3時に起きた私は、またそれから夜が明けるまで論文を読んだり書いたりしていた。睡眠の質は徐々に悪化を辿っていった。今度は、悪夢を見て大声をあげて飛び起きるようになった。それも一晩に何度も。夢に出てくるのは大抵母だった。

 

早朝覚醒と悪夢が毎晩のことになり始めると、私は身体のあちこちに変調が現れ始めた。ごはんが美味しくない。美味しくないからちょっとぐらい食べなくていいや、そうやって後伸ばしにしているうちに、どんどん痩せていった。当時、166cmの身長で38キロほどしかなかった。それから動けなくなって寝込むまで、そんなに時間がかからなかった。

 

その後、メンタルクリニックに通い、うつ病と診断された私は、抗鬱剤のほかに睡眠薬を処方された。薬の力を借りないと、もはや私は朝まで寝ることができなくなっていた。睡眠薬は朝まで体に残っているのか、朝は真っ直ぐ歩くことすら難しく、どこかによっかかると、どこでも寝てしまうほどだった。その生活は約二年続いた。あのときに私が思ったことは、「好きなことなんていらないから、ふつうに眠れるようになりたい。ふつうに美味しくご飯が食べたい。これまで30年間、どうしてそういったことを大切にせずに生きてきたんだろう。」ということだった。

 

その後、メンタルクリニックでカウンセリングを受けるようになった。そのカウンセリングの一環でやらされたのが「一日の生活のスケジュールを表にして提出すること」だった。朝何時に起きて、何時に食事をとって、何時に就寝する、そういったことを記録していくことで、規則正しい生活をすることがどれだけ大切なことか、実感できますよ、と言われた。

 

このワークをしていくうちに、私の一日の目標は「うつ病を治すこと」でもなく「何かを成し遂げること」でもなく、「決まった時間に眠ること」になった。明日の自分がどうなっていてもどうでもいい、十年後の自分がどうなっていてもどうでもいい、今日この日を決まった時間に眠って終わらせることができたら、それで全てオーライだ!と思って時間を過ごした。そう思い始めてから、私のうつ病は少しずつ軽快していったのだ。

 

それまでは、「寝ないで成果を出さなければ、人に追い越される」と思って生きてきた。それが、「ぐっすり眠って、楽しくご飯を食べて、それで出来る範囲でダメならば、もうそれは自分のキャパシティを超えているんだ」という風に考えられるようになった。

 

時を同じくして、私はキリスト教の洗礼を受けた。「日々の糧」という言葉に感銘を受けたからだ。「キリスト者として日々の糧に感謝する」、それは私にとってはつまり、「その日の食事と眠りに感謝する」ということだった。

 

子育てにおいても、私はここだけは拘っている。「寝食を忘れるほど好きなことを見つけろ」とか恐ろしいことを子供に言うつもりは全くない。私が子供に授けられるのは、正しい生活習慣だけだと思っている。

 

勉強ができないことよりも、運動ができないことよりも、仕事ができないことよりも、好きなことが見つからないことよりも、「眠れない」「食べられない」ことのほうがずーっとずっと悲しいのだ。夜眠れて、美味しく食べられたら、その日はそれで最高の一日だったんだよ、と思えるようになったら、人は強いよ。

 

だから子供たちの寝顔を見るのは幸せ。

その寝顔を見る前に寝落ちてしまうのはもっと幸せ。