モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

私がネットに癒されるとき

依存症になるほどツイッターにはまって(そして一時中止して)分かったことなんだけれども、ネット上って「幸せ」な人が嫌われるみたいですね。苦労話はみんなが食いつく。みんな励ましてくれる。苦労話をすると、ファンが増える。あと、苦労に苦労を乗り越えて今はわりと幸せ、というネタも割と好かれる。確かにこれ、人に希望を与えますもの。ほんでも、「てけとーにやってるけど、人に恵まれて、仕事にも恵まれて、まぢ幸せ」的なノリは、ネットユーザーは大嫌いみたいです。これは多かれ少なかれ自分もそういう部分があって、例えば東尾理子さんのブログとか見ると「イラッ」としちゃうんですね。自分だけかと思ってたら、彼女は結構ネット上では嫌われてる。これ、自分なりに分析してみたんですよ。なんで理子ちゃんのブログを見るとイラッとするんだろうって。

 

なんていうかな、彼女、「自分はさしたる努力をせずとも、絶対幸せになる自信がある」のが分かるんですよね。「普通に生きてれば、ナチュラルに人に愛される」みたいな。現実にも沢山こういう人って存在して、現実だとそれほどイラッとしないものが、ネットだと不思議とイライラする。人は苦労している人をネットで見て、「自分もがんばろう」とどこかで癒されているのかもしれないなあと思ったりします。

 

以前、「自分はなんかもう今は幸せだわ」ということを書いたとき、「幸せ自慢するなウガー!!!」というコメントを沢山引き寄せてしまったことがあって、それを読んで「ああ、そろそろツイッターも休止どきかなあ」と思いました。休止どきと言っても、依存症になっていたので、休止は簡単ではなかったですが。

 

人の苦労話や不幸な話って、ときとして人の疲れた脳を癒す効果があるような気がします。私もネットで読み物をする際は、好んでそういう記事を読みます。間違っても、東尾理子さんのブログは読みません。

 

みんな、要領のいい人や、ナチュラルに幸せになってしまう自己肯定感の高い人たちを間近に見て、もやもやする気持ちを抱えながら頑張っているのかもしれない。私もリアルの世界ではそういう要領の良い人たちと自分を比べながら、「こんな自分だけど、それでもがんばっていかなきゃいけない」と思いながら生きているので。

 

そして要領のいい人や、ナチュラル幸せ系の人たちは、ネットで不幸な話を探したりもしないんですよね。まあ当然っちゃ当然だけど。そもそもその人たちは不幸とか苦労話とかいう言葉が、自分の辞書の中に書いてないんだと思います。

 

とはいえ、ネットで叩かれないように、ということを意識していると、知らず知らずのうちに自分があたかも苦労しているように文章を書いてしまう面があって。ツイッターを休みたくなったのはそれもありました。なんとなく、苦労しているように書こうとしているうちは、どんどん実生活もそちらに引きずられるような気がして。

 

いやー。難しいね。