モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

親の期待は早めに裏切っちゃったもん勝ちだわ!

いつも息子のネタが多いので、たまには娘のネタを。

 

なんでもかんでも手を煩わせてくれる息子と違って、娘はとにかく何でも器用にこなしてしまうタイプのため、ついつい期待値が高くなりがちです。息子はとにかく「発達障害の二次障害にならずに大人になって欲しい」という目標設定が私の中に明確にあるわけですが、娘は育てていくうえでの目標がうまいこと定まりません。娘の幼稚園にいたお受験させて将来は東大だ慶應だ早稲田だというママたちから逃れたくて、娘幼稚園期は本当につらかったのですが、かといってじゃあどう育てたいのかが自分の中で全然見えてこない。不思議なことに、実は息子の子育てより葛藤が大きかったりするのです。

 

ただ一つだけ。娘は、とても不思議な子でして。

 

私は例によって例のごとく「コミュ障」なんで、娘の幼稚園ママ友の中には私のことをどことなくバカにしてくる人がぼちぼちいたんですね。ママ友の世界では勉強ができたできないは全く関係ない世界ですから、なんとなく不器用さや不思議さが目立つ私を、「面白い人だよね~プッ」みたいな言い方をする人がたまーにいました。

 

それでですね、白状するのイヤなんですが、一度か二度ほどでしょうか。「自分がただの変人ではないことを、娘に結果を出させて思い知らせてやる…」というかなり曲がった考え方に流されてしまったことがありました。お受験とかではないのですが、「おまえら見てろ~うちの娘はちゃうぞ~」という風に必死になっていたことが二度ほどありました。(白状するとピアノのコンクール等)

 

ところが、うちの娘は、そういうときに限って結果を出さない。本番当日にインフルエンザとか、飽きたとか、最後の最後に面倒くさくなったとか、必ずそういうことになる。そして私自身も、「私がただの変人じゃないことを娘で証明してやる」という考え方が自分の母親と全く同じであることに気付いて、娘のお尻を叩くことができない。結局、二人で「あーもういいや」という気分になってきて、最終的に二人とも傷つくという結果。

 

二度ほどそういうことがあり、私は「なるほど、娘は私の期待には応えないタイプなんだな」ということが分かったのです。神様って、ちゃんと見てるなあと。そうしたら気持ちがスーッと楽になって、「娘にやらせるんじゃなくて、自分でやりゃええやん」と当たり前のことに気付いて衝撃を受けたのでした。

 

とはいえ娘に期待を激しく裏切られた当初、幼稚園ママに会うのが苦痛で苦痛でたまりませんでした。「ダメだったんだって~?」「でも頑張ったよ~」と会う人会う人に声をかけられ、そのたびに「ここから消えたい」と思ったものでした。

 

私は母の期待に小さい頃から死にもの狂いで応えてきました。それは生きるか死ぬかぐらい、切実なものでした。母の期待に沿えなければ、母にどういう仕打ちに合うか分からない、どんなにイヤなことを言われて、いつまで無視されるか分からない、私にとって失敗することは、母の愛情を失うことと同義でした。

 

私が母の期待に一つ一つ応えるたびに、母は私を愛していると言って抱きしめ、ご近所や親戚にそれはそれは幸せそうな顔でふれまわっていました。

 

「この子は努力して私の期待に応える」ということを母に学習させてしまったのでしょうか。母の期待はとどまることを知らず、一つ期待に応えると、次にもっと大きな期待をかけてきました。

 

初めて私が彼女の期待を裏切ったのは30歳のとき。大学院を鬱で中退し、その後派遣社員として働き始めたときでした。母は「派遣社員」という響きが大嫌いでした。今でも忘れません、母は私を「派遣ちゃん」と呼んで侮辱しました。さらに、家に人が来ているときは、恥ずかしいから絶対に顔を出すな、と言われました。

 

私はそのとき、初めて母の前で暴れました。母に殴りかかり、家じゅうのものを投げつけました。今まで期待に応え続けて、鬱になるまで応えつづけて、期待に応えなくなった途端にこの仕打ちかと。

 

今でもこのことは思い出すと怒りがおさまりません。けれども、母に「恥さらし」という扱いを受けたおかげで私は怖いものがなくなりました。もう、この人の期待は裏切った。この人の期待に沿うために努力をする必要はないんだ。私自身がやりたいことをやればいいんだ、と。移住を計画し始めたのはこの頃でした。やっと私は母から逃げることに決めたのでした。

 

娘は私の期待に応えようという気持ちの全くない子でした(笑。それどころか、私がよこしまなことを考えていると、絶対に結果を出さないのです。娘が若干4歳で、私は娘に期待をかけるぐらいなら、自分で自分のこと頑張ったほうが楽しいわ、という気持ちになったのでした。今は娘は娘で自分の好きなように好きなペースで生きていて、公文の教材が進んだとか、テストが100点だったとか、バック転側転ができたとか、小さなことを喜びながら生きてくれています。

 

親の期待は、早めに裏切っちゃったもん勝ちだなあと娘を見て思います。「親の期待に応える癖」をつけると、親も子もずーっと気持ちが自由にならないのです。そして、30にもなって挫折して、親の冷たい姿を見たときの怒りって、半端ないです。それこそ、「今までの人生なんだったんだ!!!私の人生返しやがれ!!!」という、とめどもない怒りと悲しみ。親の操り人形として生きる30年間は、あまりに長いです。

 

そして子供に期待を裏切られてはじめて、親も自由になるんだと思います。