モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

勉強はなぜするの?と聞かれたら

子供を産み育てる前から、考え続けてきたことがありました。

 

それは、子供に「なぜ勉強しなければいけないのか」と聞かれたら、どう答えるのかということ。なぜそんなことを長いこと考えていたかと言われれば、私の母はそういった私の問いに対して「いい大学に行って、大きい会社に入るため。そうすれば、幸せになるから。」という答えしかくれませんでした。確かにそうやって幸せになっている人は沢山見た、でも、迷いあぐねている私にとってそれは十分な答えではありませんでした。結局私は母が望むような「大きい会社に入って幸せになる人生」から足を踏み外してしまったわけですが、それでも、やはり勉強はしておいて良かったと思うのです。それはなぜか。なぜなのか。ずっと考え続けてきました。

 

幸いなことに(それって幸いなのか?)、まだ娘にそのような疑問を投げかけられたことはありません。でも、いつか聞かれることになるかもしれない。

 

以前、「好きなものを見つけるために勉強する」という答えを聞いたことがあります。でも私、どうしてもこれにウンウンと素直に肯くことができないひねくれ者です。「子供には好きなものを見つけて欲しい」「好きなものを勉強して邁進して欲しい」ということをよく言う人がいるんですけど、好きなものを追求するって実はとっても苦しいことなんですよ。好きな研究やるために大学院に進んで、好きで好きでたまらなかったモノにどんどん追い詰められて、もう好きだか好きじゃないんだか分からなくなって病んでいってしまった人を私は沢山見ました。(私もそれ)好きで好きで、だれにも負けたくない、自分がそのパイオニアになりたい、と思うことに付随する苦しみ。これは多分、経験した人にしか分からないと思います。

 

そもそも発達障害は、特定の「好きなもの」に固執することが苦しみの原因となります。息子を見ていても分かります。大好きで大好きでたまらない。そしてそれが忘れられなくなる。行動がその好きなものに制限される。好きなものに固執するあまりに、思い通りにいかないと暴れる。暴れている自分にますます嫌気がさして、さらに暴れる。発達障害児の場合、自己コントロールができる年齢になるまでは、親はこの「好きなものに対する拘り」を削ぎ落とす努力をしなければなりません。

 

私の大学院時代を見ていて、そして発達障害児にふれて、夫は言いました。「好きなことに頭の中を覆い尽くされるのって、実は苦しいことなんだなあ」と。だから私は、「勉強しろ!勉強して好きなことを見つけろ!好きなことを持てる人生にしろ!」とか子供には言えないんです。怖くて。

 

では、なぜ勉強はしておいたほうがいいと私が思うのか?

 

それは八方ふさがりの苦しいことに出会ったときに、必ずそこに解があることを信じ続けることができるということでした。自分の苦しみを分析し、本を読み、人に話を聞き、時間をかけてその解を導き出していくことができるということ。さらに、自分の苦しみに対するアプローチを、文章にして発信する力が備わっていること、これはとても重要だと思うのです。

 

「毒母」に育てられ、自己肯定感の低さに長いこと苦しみ、それが原因で理不尽なことを言われたりやられたりすることが日常茶飯事の人生。くたびれ果ててうつ病になったとき、私を救ったのは「苦しみを分析し、答えを探し出す力」と「文章で発信する力」でした。これがあったから、私は死ななかった。「必ず答えはある」と信じ続けることができた。

 

さらに、勉強をして私が分かったこと。物事には短期的にパッと解が出てくる問題と、長期的に時間をかけてやっと答えが見えたような見えないような、変化が見えたような見えないようなという二つの種類の問題が存在するということ。ここを見誤ると、問題解決どころか、事態はさらに混迷するのです。

 

息子の発達障害のことなどは、まさに「長い時間」が必要なことです。今すぐに答えが欲しい人が、頭がい骨矯正や薬物の拒否・予防接種の拒否などの偽科学にはまっていくのをたまに見ます。発達障害はボタンを押せばすぐに答えが出る問題ではありません。長い長い発達の過程を、辛抱強く見守っていかなければならないのです。

 

自分の苦しみを分析し、解明し、それを発信する力がつくと、人は苦しみに飲まれなくなります。苦しみを、自分のモノにしてしまうことができるのです。日々の勉強は、そのインナーマッスルを必ず鍛えてくれます。

 

私は機能不全家族発達障害などの問題を通して、大人になってから本当に世界が広がりました。自分の苦しみに対する解を求めて探求することは、非常に充実した楽しい過程でした。苦しみは、探求して発信する力がつくと、「ネタ」になります。(ネタというか研究材料というか)そこまできたら、もう自分の人生は自分のものです。理不尽なものに振り回されることはなくなります。

 

好きなものを見つけるためではなく、苦しいときに生き抜く強さを身につけるために。勉強はしておこう。

 

子供たちに聞かれたら、そう答えようかなと思っています。