モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

「息子は何の仕事に就けばいいですか?」

先日、発達障害の親の会で、お話することを頼まれました。息子のことというよりは私自身のこと。発達障害の傾向を強く持ちながら、何を思って生きてきたのか、どうやってここまで道を開拓してきたのか。うつ病になった経験や、雑談をパターン化していった話、今の仕事に行きついた話。お話をさせて頂いた会は、成人された発達障害のお子さんをお持ちの方がほとんどだったので、みなさん真剣に聞いてくださいました。

 

そしてお話が終わってから。個人的に何人かの方に呼び止められ、お話をしました。私はそこで呆気にとられる質問をされることになります。仮にAさんとしておきます。

 

Aさん:「あの、息子はなんの仕事に就いたらいいんでしょう?」

私:「え?」

Aさん:「うちの息子も翻訳とかやれるでしょうか?」

私:「…息子さんは英語がお好きなんですか?」

Aさん:「さぁ…。でも文系です。」

私:「それは私が考える話ではないと思うんですが…」

Aさん:「翻訳だったら発達障害でも出来ますか?」

私:「…」

 

なんだか、自分の伝えたかったこと何も伝わっていなかったような、ものすごい脱力感に襲われました。その後もその方に、20分以上にわたって拘束されました。職業の話から、さらには息子の人間関係の話にまで及び、「どうやったら息子に友達を作ってやれますか?」とも。

 

言いようのない疲れに襲われながら、私は「支援ってなんなんだろう」と考えてしまいました。成人した息子の適職や友達の作り方まで親が考えてやる、それは発達障害児をあるがままに受け止めたことの結果なのだろうかと。

 

ふと思い出してみました。

 

母との関係には葛藤が多かったけれども、今思えば一つだけ救われたこと。

 

母は私の成績や進学には異常な熱意を持っていましたが、友達が少ないとか、友達とトラブルが多いなどということには、こちらから言わない限りはほとんど関心を示しませんでした。私が話せば嬉しそうに相談に乗っていましたが。私はママ友の中でノイローゼになりかけたことも、その中で雑談をパターン化してコミュニケーション手段を確立したことも、全て自分ひとりの格闘の中でやっていました。

 

自分自身で「気づき」を得ることは、自立することの特典なのです。自分で行動して、自分で苦しんで、自分で問題に取り組む。それは、親から離れた人間の得られる、自由なのです。何の仕事に就くとか、その仕事に就くためにどのような苦難を克服していかなきゃいけないのかとか、そういうことを考えることも、自立した人間に与えられた自由だと思うのです。そういう自由を、発達障害児だからといって奪って良いものかと。

 

「気づき」を親から与えられる時間は、幼少時だけだと思っています。私は幼少時の教育は、高校生大学生になって自立に向かうときに、一人で考える力をつけるために、長期的な視点で行っていかなければならないと思っています。これは、発達障害児であろうと定型発達児であろうと同じ。自立したら、自分で世界を見つめていかなくちゃいけない。自分で「気づき」を得なければならない。

 

だから私は、幼少時である今は、息子にも娘にもある程度の介入をしています。「気づき」を得られる環境を提供しています。やがて手を離れていく思春期に、自分自身で歩ける力を得させるために。

 

二十歳を超えた息子が「どの仕事に就くべきか」なんて、ほんの一時間話をしただけの私に聞くなんて、まるで学校の先生に「次のテストに出るところ教えてください」と聞くのと同じレベルの話です。間違っちゃいけない。親が子のありのままを受け止める、支援するって、そういうことじゃないんですよ。

 

「気づき」を得る自由まで、親が奪っちゃいけない。

 

このお母さんに長いこと拘束されているときに、鬱屈して追いつめられている息子さんの顔が、ふと浮かびました。先には何も見えない。見えるのは、心配する親の顔だけ。未来はない。そんな息子さんの姿が浮かんできて、私はその後、寝込んでしまうほど疲れました。