モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

大人になることをイメージすること

私が住む街には大きな総合大学があって、地域のイベントや子育て全般と大学は切っても切れない関係です。地域の高校からはこの大学に進学する子供はとても多く、都会育ちの私にはとても面白い現象に思えました。都会で暮らしていた頃、地方の高校生たちの多くが地元の大学に進むことについて、「そりゃ東京に出したら下宿代かかるし割安だよね」ということぐらいしか考えていなかったのですが、今の環境に来て、とても大きな気づきがありました。

 

小学生になってソーシャライズされつつあるうちの娘、彼女にも少しずつ「憧れの大人」というものが出てきました。(ちなみに私は全く対象外の様子)習い事の先生たち、イベントでスポーツや科学について教えてくれる学生さんたち、娘が「こんな風になりたい」「こんなことやってみたい」と思える憧れの大人が、みんなたまたま地元の大学の学生さんだったり、そこの卒業生だったりするんですね。彼女は「大学生になること」「そのあと働くこと」「社会と関わること」を、その大学の学生さんや卒業生さんとの関わりを通じてイメージしているのです。高校生たちが地元の大学に進むのも、経済的な事情もあるとは思いますが、それ以上に小さな頃から「憧れの大人」をそこで見てイメージしているのかもしれないなあと思ったりします。

 

大人になってつくづく思うことなのだけれど、「どこの大学に行きたいか」「将来何になりたいか」と言われても、高校生には具体的なイメージがしづらいのです。私は「将来何をするために大学に行くのか」という答えが全く見いだせないままに大学に進学し、「大学で見つけられればいいや」と思って入学しました。ところが、明確な目的を持って入学してくる学生さんに、入学後全く「勝てない」。勝てないってのは成績とかそういう問題じゃなく、なんと言ったらいいかな、「生きる力」的な部分で全く勝てない。その挫折感たるや、半端なかったです。そして、「将来どうしようどうしよう」とブツブツ言いながら、あっという間に四年間が過ぎていったのでした。今だったら、あんなことができた、こんな資格も取った…!と37歳の齢になって後悔することしきり。実は親のスネかじれる間にやれたことは沢山あったのでした。

 

いま、娘を見ていて思います。「将来何をしたいの?」「何のために大学に行くのか、しっかり考えなさい!」と高校生の頃に畳み掛けるのではなく、周りにいる楽しそうな大人に沢山会わせよう、と。そして、「大人になって楽しむ」ということのビジョンイメージをしっかり形成させよう、と。大学に行くのが目的なんじゃない。憧れの楽しんでいる大人になるために、大学に行くんです。

 

息子が発達障害だと分かったときに、「周りにいる凸凹な大人を沢山見せてあげてください。丸い大人だけでなく、凸凹な大人で楽しんでいる人を沢山見せてあげてください」と友達に言われ、涙が出たのを思い出します。凸凹でも楽しんでいる大人は沢山いる。それをいくら口で言っても、子供はうまく想像ができない。百聞は一見にしかず。凸凹でも楽しんでいる大人を沢山見せよう、と私は思ったのでした。

 

そしてもちろん、子供たちにとって一番身近にいるのは親である私たち。仕事を、生活を、子育てを楽しんでいる大人のモデルでありたい、将来子供たちが自分の道を選ぶときに、「楽しい人生をおくりたい」と思えるように。そしてそのときに、自分たちの顔がふと浮かぶように。

 

私も、立派な大人にはなれないけど、楽しんでいる大人であろう。