モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

世界の構成物を知る ~発達障害児にとっての「勉強」~

四歳息子が、絵本棚から絵本を取り出しては黙々と読むようになりました。本を読んで!○○のご褒美に本を読んで!とせがまれるので、一日に何冊も何冊も、私は喉が痛くなるまで本を読み聞かせることも増え、読み終えては図書館に出かける毎日。

 

小さい子は絵本が好きですね、まる。いえいえ、私にとって、この息子の変化は衝撃以上の何者でもないのです。

 

ほんの一年前まで、息子は絵本を読み聞かせようとしても、最初の一行を読んだ時点で脱走していました。まず座らない、そして我慢ができないから、この子は絵本の読み聞かせは無理ね、と家族全員諦めていました。絵本の読み聞かせだけでなく、定期購読し始めた学習教材も全滅(鉛筆持たせようとすると脱走)、音楽聞かせるのも無理、このような状態なので習い事も全滅。体操教室もトランポリン教室も半ばクビになり、この子はこの先どうなってしまうのだろう…と気を揉む日々でした。

 

ようやく気を取り直して通わせ始めた療育で、息子は着実に成長をしていきました。そのときに、療育の先生がおっしゃった言葉が私の中で大きなヒントとなったのです。

 

「お母さん、この子はパターンから入るとうまくいくよ。」

 

先日、自閉症の東田直樹さんのドキュメンタリーをたまたま見ることができました。東田直樹さんは、あんなに美しい言葉をパソコンでつむいでいるけれど、発語はできません。東田さんは自分の意思を話すときに、お母様御手製のローマ字のボードを使って話します。「僕は」というのを「B O K U W A」とアルファベットを手で押さえることによって言葉を「発する」のです。

 

息子は公文をやり始めてから、「言葉」は平仮名の集合体であることを学び、「数」の概念を知りました。その途端に、彼にとって今まで「脅威」だったものが「興味」に変わり始めたのです。お母さんが読み聞かせてくれる絵本は、「言葉」の集合であり、「言葉」は平仮名の集合なのだ、と分かった途端に、絵本の世界は彼の「コントロール可能な世界」へと変わっていったのだと思います。

 

そして私は分かったのでした。「発達障害児/者は学力が高くて高学歴なのに、人とのコミュニケーションが取れない」という世間の認識が間違っているということを。発達障害の子どもにとって、「何がなんだか分からない混沌としたもの」というのはとても怖いもので、「構成物や原理を知ることは、怖い世界を自分の興味のある世界に変えるために不可欠なこと」であるということ。

 

息子は文字数字という世界の構成物を知ったことで、今度は地図や人体図にまで興味の範囲が広がりました。彼は、怪我をして血が流れたときに以前はひどくパニックになっていましたが、「この下には血管が通っていて、この血を止めるためにかさぶたになる」という流れを絵本で勉強した後は、血が流れることが「恐怖」ではなく「興味」に変わりました。血が出ると、面白がって観察しています。何日も何日も観察し続けています。全てのものに「構造」が存在し、それを構成するパターンがある、ということが分かったことで、彼の世界は大きな広がりを見せ始めました。それまでは恐怖から逃れるために、小さな小さな拘りに逃げ込んでいたのに。

 

昨日から、彼は幼稚園で15分だけのなんちゃってピアノレッスンを始めました。音楽性を養ってもらいたいなんて微塵も思ってません。そうではなくて、「音符」というコードが音楽を構成していることを知ったとき、彼の世界はまた一つ恐怖が興味に転換されるはずだと思ったのです。

 

そうだ、「勉強」という響きにおされて、勉強をさせることに身構えてしまう人は多いけれど、本来勉強というものは混沌とした世界を、自分のコントロールできるものに変えるためにあるんじゃないか。コントロールして初めて湧いてくる、興味、探究心。世界が少しずつ、自分の説明できるものになる喜び。

 

今日も一日頑張ろう。

 

「聞く」という行為の深さを知る ~言語療法第一回~

本日、初めて言語療法に息子を連れていってきました。昨年の段階では言語療法は予約いっぱい。さらに、息子自身の多動衝動性が目立ったため、ドクターの判断で言語療法はしばらく見送られていました。今年になって投薬の治療も開始し、本人の成長もあいまって、多少の落ち着きと聞き分けが出てきました。そこで、言語療法を開始することになりました。

 

さて、私はこの「言語療法」なるものが、息子に対してどのようなアプローチをするのか、一体どのような点を改善することを期待しているものなのか、非常に興味がありました。というのも、息子は喋り言葉だけ聞くと、全く言語に遅れがあるようには聞こえません。むしろ、年齢不相応な難しい言葉を知っていたりします。とはいっても、興味のないことは助詞の使い方すらもあやふやになる凸凹さ加減があります。言語療法で、いわゆるボキャブラリーの部分を強化するのかな?絵カードを見せながら、これは何とか何色とか教えるのかな?だとすれば、必要ないんだけど…と思いながら連れていきました。

 

予想に反して、言語療法では積み木や折り紙やペグ差しをさせられていました。言葉に関係あることと言えば、カードを見て物語を作るゲームぐらいだったでしょうか。はて、これがどう「言語」なのか、と私は首をひねったわけです。で、じーっと訓練の様子を見ていて分かったこと。言語療法とは、言語を話せるようになる訓練というよりは、「人の話を聞く」訓練であるということが分かってきたのです。

 

息子はこの「人の話を聞く」ということが徹底的に出来ない人でした。2歳児の発達検査の折、臨床心理士の指示が聞けない。指示を聞くことができないから、自分流に全部やってしまう。そうすると、全く求められたことができないわけです。理解力がないわけでも、ボキャブラリーが少ないわけでもないのです。むしろ理解力や頭の回転の速さは、親の私から見ても卓越しているように思えます。けれども、「聞けない」のです。

 

積み木、折り紙、ペグ差し、どれも単純なゲームに見えるのですが、言語聴覚士は都度、パターンを変えた指示を出します。突然質問をしてきます。それに一つ一つ答えて初めて、問題に取り組むことができるようにプログラムされています。

 

なるほど、コミュニケーションとは、「話す」こと以上に「聞く」ことが大切なのかもしれない、と訓練を横から拝見しながら思ったわけです。

 

息子の訓練を眺めながら、昔、自分が大学でゲスト講師として何度か教壇に立った日のことを思い出していました。ゲストとして何度か講義をさせてもらった大学は、キャンパス内にいち早くwi-fiだかなんだかを接続できるようにして、授業中も学生はラップトップパソコンを開きながら講義を聞くような先端的なところでした。ノートも紙のノートにつけるなんて古典的なことはせず、パソコンに入力しているのです。今の大学はみんなそんな感じなのかな。私にはよく分かりませんが、授業開始10分ぐらいで、私は授業をやる気ががっくりとなくなってきてしまったのです。

 

学生の、視線がこちらにこない。

 

PCの中を見ながら講義を聞かれると、学生の表情も視線も全く読めないのです。「聞いてるのかな」「面白いと思ってくれてるのかな」「これ準備するのに二週間かけたんだけど」「PC画面でネットサーフィンしてるんじゃないの」などとあれやこれや考えているうちに、講義をしているのが辛くなってきました。あのときは、帰宅してから無力感で泣いた覚えがあります。

 

そして、その後の講義では「私の授業ではラップトップパソコンの使用を禁じます」という強硬手段を取りました。学生はポカンとしていましたが、その後の授業では生徒の表情と視線から、はっきりと「あなたの話を聞いています」「とても面白いので熱心に聞いています」という何かこう、オーラのようなものを感じることができたのです。そして私は、「一生懸命聞いてくれている。もっと楽しませてみたい。」という気持ちになり、1時間20分の授業はなんともいえない教室との一体感を感じたのでした。

 

あのときに自分が感じたのは、「あなたの話を聞いている」という意思表示というのは、「自分の存在をちゃんと尊重してくれている」という気持ちを相手に起こさせるものなんだなと。「聞く」という行為は単なるコミュニケーションを円滑にする一手段ではなく、相手の存在そのものを受け入れ、尊重していることを示す、もっと根源的な表現なのではないでしょうか。

 

息子が今受けているのは音楽療法と言語療法の二つですが、どちらも常に主眼は「ボキャブラリーを増やす」ことではなく「相手の話を聞く力をつける」ことにあったのです。

 

どこかの塾の先生がこんなことを言っていました。「小学校入学前に漢字が書けるとか掛け算ができるとかそんなのは何も意味がない。いずれすぐに周りに追いつかれます。大切なのは、先生が前に立ったら話を聞く、そのルールが頭に入って出来ていること」

 

「人の話を聞く」ということの深さ、私がそれを知ったのは、30代中盤になって数々の人間関係の失敗を重ねた後でした。それは単なる儀礼的なマナーではなく、もっと深い、「愛」にあふれた行為であるということ。人の話を聞けなかったことで、私は沢山の愛を失っていた可能性があったこと。

 

わずか三歳四歳から我が子に療育訓練を始めることの意味。それは人生に少しでも多くの愛を呼び込んで欲しいという願いでもあります。

過去の自分が成仏する瞬間

七年ほど社内翻訳者として働いてきましたが、来年の四月に晴れてフリーランスとして独立することになりました。もともと実力一本で食っていこうと思うほど自分の実力に自信があったわけではなく、フリーランスになるのは60歳ぐらいでいいや、と思っていました。あれよあれよという間にフリーランス転向が決定したのは、学生時代に翻訳のアルバイトをしていた会社の上司から、15年ぶりに連絡があったことがきっかけです。「個人事務所を立ち上げて、自分の研究を手伝って欲しい」と言われました。その話が来たのは、おりしも転職活動の面接を受けた翌日でした。「英語資料の翻訳の仕事」ということで面接に伺ったに関わらず、面接で言われたのは「仕事はほとんど出張費の処理。」とのこと。しかもお決まりの「残業についてはしても良いとお考えですか?」の質問。来年度からは息子の言語療法も始まるし(もちろん平日)、フルタイム残業ありで、しかも英語の仕事ではない、、ということで、「何かしっくりこない」と頭のなかがグルグルしていました。そのときに突然舞い込んだ元上司からの15年ぶりの連絡。私は、「この波は乗らねば!」と瞬間で決断をし、そのまま採用選考中の会社に電話をかけて、選考の辞退を申し入れました。

 

その後のことです。両親に「来年度は仕事はどうするんだ」「そろそろ博士課程に戻って博士号を取らないのか」とお決まりの質問があり、非常に面倒くさかったので、「昔の上司から大きなプロジェクトに誘われたので、これを機にフリーランスに転向しようと思います。形態的には○○研究所の業務委託という形になると思います。」と説明しました。

 

これを聞いて母が言った一言。

 

「○○研究所の業務委託ってことは、人に聞かれたときは娘は○○研究所勤務って答えていいのね?」

 

あまりにズレた質問に心底イライラしながら、「違います。○○研究所から仕事を受けるフリーランスです。」と説明したところ

 

「『娘さん、今何してるの?』って言われるときが一番イヤなの。穴に隠れたくなるの。早く大企業に勤めるか博士課程に戻るかして安心させて」と母に言われました。

 

こういう母の反応に対して、30を超えてから幾度となく家庭内暴力を繰り広げてきた私ですが、今回はもう暴れる気力も残っていませんでした。ただひたすら、この人と関係ない世界で生きていきたい…と思うばかり。とはいえ、母と話した後に数日間は鬱になってしまい、子供たちや夫にも迷惑をかけてしまいました。

 

そしてようやく気持ちが立ち上がりつつあった昨日。子供の習い事(公文式)の個別面談があったので行ってきました。発達障害のある息子に関しては、いろいろとこれまでの育児の苦労について泣き言も言ってしまったような気がします。それでも、あーだこーだ言う私に、先生がニコニコ笑いながら言ったのです。

 

「モビ夫さんがね、モビゾウさんのこといつも『あの人は僕にとても真似できないスゴイところを沢山持っているんです』『息子のこともいろいろ大変だけど、あきらめずにいろいろ研究して、ものすごい頑張ってくれています』『あの人はすごい人なんです』っていっつもおっしゃるのね。モビゾウ一家は、お互いのことをすごく評価してて、すごいと思うのです。だから、息子くんも絶対大丈夫です。なんだか良く分からないけれど、絶対大丈夫だという確信があるのです。」

 

この先生の言葉を聞いて、私は今までにない不思議な感覚に襲われることになりました。涙が出るとか、嬉しいとか、そういう感情ともちょっと違う。ただ、肩に重くのしかかっていた何かが、すーっと離れていくような。先生と話した後に、本当に、体が軽くなっていました。

 

そして分かったのです。あ、これ、過去の自分が成仏したんだ…!!と。

本当に体が軽くなるのです。そして、帰宅してみてみたら、顔がすっきりしているのです。自分が成仏するって、本当にあるのです。

 

「あなたがどこにいようと、何をしていようと、どこに所属していようと、僕はあなたはすごいところを持っていると思っているし、あなたのいいところはちゃんと分かっているし、あなたが頑張っているのも良く分かっている。」

 

これ、親が子供に与えるべきメッセージなんですよね。育児って究極的にはこれさえ伝え続けていれば、子供は満足して育っていくんじゃないかって思うぐらい、大事なことだと思うのです。私はずっとそれを与えられずに育ってきました。こういう学校に行かないと、こういう組織に属さないと、おまえの存在は恥ずかしい、私を喜ばせろ、と親から言われ続けて育ってきました。

 

けれども夫の言葉を公文の先生から聞いて、「私が何者になろうとも、この人の私への愛情は変わらない」ということを知ったのです。そして、私が親から与えてもらいたかったのは、そういう「変わらぬ愛情」であったことも。そしてそんな夫だったからこそ、私は安心してフリーランスへの道を選ぶことができたのだということも。

 

クリスマスイブの日、過去の私がまたひとつ、空に帰りました。

 

Merry Christmas!

 

 

大人になることをイメージすること

私が住む街には大きな総合大学があって、地域のイベントや子育て全般と大学は切っても切れない関係です。地域の高校からはこの大学に進学する子供はとても多く、都会育ちの私にはとても面白い現象に思えました。都会で暮らしていた頃、地方の高校生たちの多くが地元の大学に進むことについて、「そりゃ東京に出したら下宿代かかるし割安だよね」ということぐらいしか考えていなかったのですが、今の環境に来て、とても大きな気づきがありました。

 

小学生になってソーシャライズされつつあるうちの娘、彼女にも少しずつ「憧れの大人」というものが出てきました。(ちなみに私は全く対象外の様子)習い事の先生たち、イベントでスポーツや科学について教えてくれる学生さんたち、娘が「こんな風になりたい」「こんなことやってみたい」と思える憧れの大人が、みんなたまたま地元の大学の学生さんだったり、そこの卒業生だったりするんですね。彼女は「大学生になること」「そのあと働くこと」「社会と関わること」を、その大学の学生さんや卒業生さんとの関わりを通じてイメージしているのです。高校生たちが地元の大学に進むのも、経済的な事情もあるとは思いますが、それ以上に小さな頃から「憧れの大人」をそこで見てイメージしているのかもしれないなあと思ったりします。

 

大人になってつくづく思うことなのだけれど、「どこの大学に行きたいか」「将来何になりたいか」と言われても、高校生には具体的なイメージがしづらいのです。私は「将来何をするために大学に行くのか」という答えが全く見いだせないままに大学に進学し、「大学で見つけられればいいや」と思って入学しました。ところが、明確な目的を持って入学してくる学生さんに、入学後全く「勝てない」。勝てないってのは成績とかそういう問題じゃなく、なんと言ったらいいかな、「生きる力」的な部分で全く勝てない。その挫折感たるや、半端なかったです。そして、「将来どうしようどうしよう」とブツブツ言いながら、あっという間に四年間が過ぎていったのでした。今だったら、あんなことができた、こんな資格も取った…!と37歳の齢になって後悔することしきり。実は親のスネかじれる間にやれたことは沢山あったのでした。

 

いま、娘を見ていて思います。「将来何をしたいの?」「何のために大学に行くのか、しっかり考えなさい!」と高校生の頃に畳み掛けるのではなく、周りにいる楽しそうな大人に沢山会わせよう、と。そして、「大人になって楽しむ」ということのビジョンイメージをしっかり形成させよう、と。大学に行くのが目的なんじゃない。憧れの楽しんでいる大人になるために、大学に行くんです。

 

息子が発達障害だと分かったときに、「周りにいる凸凹な大人を沢山見せてあげてください。丸い大人だけでなく、凸凹な大人で楽しんでいる人を沢山見せてあげてください」と友達に言われ、涙が出たのを思い出します。凸凹でも楽しんでいる大人は沢山いる。それをいくら口で言っても、子供はうまく想像ができない。百聞は一見にしかず。凸凹でも楽しんでいる大人を沢山見せよう、と私は思ったのでした。

 

そしてもちろん、子供たちにとって一番身近にいるのは親である私たち。仕事を、生活を、子育てを楽しんでいる大人のモデルでありたい、将来子供たちが自分の道を選ぶときに、「楽しい人生をおくりたい」と思えるように。そしてそのときに、自分たちの顔がふと浮かぶように。

 

私も、立派な大人にはなれないけど、楽しんでいる大人であろう。

交流はお母さんの役目?

秋の遠足の季節になりました。

 

我が家の息子は春の遠足は不参加。不参加は息子だけだったので、当然幼稚園側ともいろいろと話し合いをしましたが、幼稚園入園でいっぱいいっぱいになっている息子にとって五月の遠足というのは時期的に過酷であったこと、それから場所が水族館というのが息子の特性には辛かったことをなどを説明し、理解して頂きました。水族館には練習で連れていってみたものの、息子の独特の聴覚と視覚にはかなりきつかったようで、中のほのぐらい光や反響音にパニックに。これを遠足でやられたら、本人にとっても親にとってもいい思い出にはならんだろうな、と判断しました。

 

さて秋の遠足。こちらは参加にしました。今度は場所が屋外なので本人の特性的に辛くなりにくいこと、運動会や夏祭り等の大きな園行事を無事クリアして本人も自信がついてきたことなどから総合的に判断し、参加に踏み切りました。ただし、いつもと違う状況が苦手な息子を一日遠足で連れまわすのは大変なことなので、夫にも同伴してもらうことにしました。

 

実は今の場所に引っ越してきて、私はとても気が楽になったことがあります。土地柄、外国人の方がクラスにぽつぽつといるのですが、みなさん遠足等が平日にあっても、お父さんがお休みを取って、夫婦で行事に参加してることが多いのです。職住接近の人が多いのも幸いして、子供の行事にお父さんがちょろっと職場抜けて来ていることが多いのですね。幼稚園バスのバス停にも、お父さんとお母さんが混ぜ混ぜで立っていたり。

 

娘の幼稚園時代は、「平日の行事はお母さんの交流の場」というような暗黙の了解的な雰囲気がありました。土曜日の行事というと、父親参観と運動会だけ。あとは、基本的には遠足も授業参観もお母さんが出るもの。そうすると、そこにふっかかってくるのは、行事参加プラスアルファのプレッシャー。そう、「交流」という名の重圧です。さらに、土曜日も忙しいお父さんが多く、お父さんが仕事だからやることないんだよね、と土曜日もママさんお茶会になったり。家事育児仕事がワンオペ状態なだけでも家庭こそがブラック企業みたいな状態なのに(笑、「他者との交流」「地域活動」までが暗黙的にお母さんの肩にふっかかってくるのです。

 

私は息子が発達障害で多動もあり、とてもではないけど息子を連れて「ママ友とお茶会」なんてことは出来ないので、娘のときとは違い、最初から割と淡々としていましたが、やはり行事の参加は毎回緊張の連続。けれども、幼稚園側がお父さんの参加を促すために土曜日に行事を重ねてくれていること、そして周りのお父さんが平日の行事にも出ている人が結構いたので、グッと気が楽になりました。あ、遠足に夫婦で参加してる人もいるんだ、と思ったら、手のかかるうちの息子でも遠足に行けるかもしれない…!!と嬉しく思ったのを覚えています。

 

実は、子供関係の交流って、「ファミリー」をベースにやっていけば、それほど辛くないんじゃないかと思ったのです。娘の幼稚園の遠足では、いつも私は「誰とお弁当を一緒に食べよう…」というのを前の晩から気にしていましたが、そこにお父さんがいれば、家族で食べればいいのです。「交流」をお母さんが一手に担わなければいけないから、大人になってまでしんどい思いをしなければならないのです。

 

PTAだって、もっとお父さんが参加していい。うちの夫がPTAに参加したがらない理由は、「男だからって理由で、責任ある立場に無理やりつかされそうになる」からだそうです。そう、うちの夫はそれで、さんざ痛い思いをしてきたのでした。マンションの管理組合に参加したときに、「組合長はやっぱり男の人じゃないと」という意見の連発。「俺は会計がやりたかったのになんでなんで??」という感じだったんだそうで…。確かにPTAとか見ると、会長は男性であることが多く、あとはずらっとお母さんたちのことが多いです。

 

学校や地域の「交流」という言葉が知らず知らずのうちにお母さんたちを前提にしていることの重圧。これもっと、家族ベースで動かしていけないものでしょうか?もっとお父さんが参加するのが普通になっていかないでしょうか?

 

まずはその第一歩を自分たち夫婦がやってみようと思います。

 

「人間」にする技術

先日の以下のつぶやきに反響があったので、少し追記しようと思います。

 

@movizoo

そのうちブログで書きたいと思うが、息子の療育で最も早く効果が出たのは応用行動分析だ。てっとり早く言ってしまうと、子供の心がどうの~とかいう部分をぶった切って、行動にのみ着目する。好ましい行動を増やし、好ましくない行動を消去する。→

→応用行動分析(ABA)は心の部分をぶった切るため、「動物の訓練のようだ」と嫌がる人がいる。確かに動物の訓練に近い。子供の心を受け止めてあげましょう~とかいうおべんちゃらが、全くない。私にとっては、行動にのみ注目するやり方は分かりやすくてやりやすかったが。→

→動物の訓練のように「行動」にのみ注目して消去と強化を繰り返したところ、息子はすっかり「人間ぽく」なった。「人間らしい作法」を身につけるためには、まずは「動物」としての訓練が必要なのかもしれない。

いろいろな困難にぶつかったときにね、「心」って邪魔になるときがあるの。相手がどう思ってるとか、罪悪感がどうのとか、そういうのぶった切って「今何をするべきか」と頭で考えると、すごくクリアに答えが出ることがある。応用行動分析は多分、それに近いのだ。

 

「心」をぶった切って、行動のみに注目する。そして、好ましい行動を増やし、好ましくない行動を減らしていく。そのうちに、手に負えなかった発達障害児が少しずつ「人間」になっていく、これが応用行動分析の凄さです。賛否両論あります。発達障害児の所作をより人間に近づける技術に過ぎないので、その後の関わりでは「心」を無視することは難しくなってきます。友達関係がうまくいかない、みんなができるはずのことができない、集団生活の中で少しずつ「自分はみんなと何かが違う」と揺れ動き始める発達障害児を前に、「心をぶったぎって、行動だけに着目しよう、うぇーい!」という対応は無理。そういう意味では、一時的なツールに過ぎないのです。けれども、この子たちの「心」にフォーカスするためには、まず「人間」らしくなってもらわないとこちらも辛い。そのために、最初だけ「心」をぶった切るのです。

 

応用行動分析を知って分かったのは、人を「人間」らしくすること、「人間」らしく育てることは、ある程度は技術で出来るということ。子供の心に寄り添って~とか、心優しく接して~とか、そんな抽象的な言葉に右往左往していた私にとって、これはとても自分を楽にする哲学でした。

 

そして応用行動分析を勉強し始め、息子が劇的な変化を見せ始めた頃、NHKクローズアップ現代でたまたまこんな番組を見ました。

 

見つめて 触れて 語りかけて  ~認知症ケア“ユマニチュード”~

 

これを見たときに、「これは息子の療育に通ずるものがある」と胸がときめいたのです。

 

ユマニチュードとは認知症のケアの手法であり、その哲学は「あなたは人間」「そこに存在している」と認知症の高齢者に伝えることにあります。「見る」「話しかける」「触れる」「立つ」がケアの主軸になっており、このケアによって認知症の徘徊や攻撃的な言動などが著しく減少するというもの。

 

これを見て、人を「人間」にする技術というのはあるのだ…!と思ったと同時に、「人に寄り添う人になる」「優しい人になる」ということが難しくても、「優しい人になる技術」というものがあるのだ…と気持ちが楽になったのを覚えています。

 

優しくなるって難しい。人に寄り添うって難しい。子育てにも介護にもそれが必要だと頭で分かっていても、私はどうやったら自分が優しい人間になれるのか分かりませんでした。

 

応用行動分析を知って、ユマニチュードを知って、優しい人間には簡単にはなれないけれど、相手を人間として扱う技術は学べるんだ…と気づけたわけです。

 

それから、子育てをするのも、人と接するのも、妙な罪悪感がなくなった気がします。技術は、学べるから。技術は、頭で考えて分かるから。

 

人に優しいことも、人に寄り添うことも、幸せな家庭で幸せに育ってきた人にだけ与えられた特権だと思っていました。でも、私でも学べる。

 

そう、こんな私でも、優しくなれる。

 

 

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自分を大事にしてくれる人を見誤る原因

知り合いで、やたらめったら他人から雑用を頼まれる人がいます。実はその人、鬱で体調を崩して休職中であるにも関わらず、人の引っ越しの手伝いやら、パーティの配膳の手伝いやら、他人の子供のベビーシッターやら…。とにかく土日はほとんど休めないほど引っ張りだこ。そのときは気晴らしになるようですが、言わずもがな、後になって鬱の波がどーんと重く訪れる模様。そんな友人がふと口にしたのが、「これって自分の人徳だね。他の人にはみんなこんなこと絶対頼めない」「自分はみんなに必要とされてるんだなあ」という言葉。

 

おい!ちょっと待てw と思わず口を突いて出そうに。

 

 本当にあなたのこと大事に思っていたら、鬱病で休職中の人にそんなに雑用頼むかよ!と頭の中で叫びましたが、なるほど、彼女はとても自己肯定感が低い人で。ご両親が毒親だったという話はよく聞いていましたが、「自分を大事にしてくれる人」というのを見誤ってしまうのですね。

 

私も以前そうでした。

 

私の場合は、「他人からいじられる」「からかわれる」ということを、「自分って愛され系」と勘違いしていました。中学校、高校、大学と思春期の一番多感な時期に、私は他人にからかわれることに喜びを感じていました。愛されているなあ~、わたしって人気者なんだなぁ~と悦に浸っていたのです。ところが自分が大人になって、鬱病になって…。自分を大事にするということがどういうことなのかを突き詰めて考えることになったときに、「あれは愛されていたんじゃなかったんだ。単なるイジメだったんだ…。」と気づいたのでした。ショックでしたよ。人生の半分以上の期間の人間関係を全否定されたわけですから。

 

怖いことに、イジメられている本人(私)はイジメられていることに気づいていないんです。むしろ、それを喜んでいるわけです。それは、本当に自分を大事にしてくれる人間というものに家庭内で巡り会えず、さらに落ちるところまで落ちていた自己肯定感により、自分で自分を常にイジメていたからです。家族に大事にされず、自分で自分をイジメている人間は、イジメが自分の存在の柱になっています。だから、イジメられても「それが自分のあるべき姿」だと思い、感覚が麻痺していくのかもしれません。

 

大人になって、鬱病になりました。

 

自分で自分をイジメつづけ、周囲にイジメられても喜んでいたことによる慢性的なストレスは、知らず知らずのうちに全身を痛めつけていました。ここで初めて、私は「自分を大事にすること」「大事にされること」というのがなんなのか、考えることになりました。そして、からかわれたり笑い者にされたりしたら、「そういうのはイヤです」と言うべきだということも。

 

「自分を大事にする」というのがどういうことか、人は親から大事にされることによって自然に学んでいきます。それを家庭で学べなかったことで、自分を軽視し、利用する人間に知らず知らずにうちに惹かれていってしまうのかもしれません。

 

そういえば最近は自分をからかったり笑い者にしたりする人間とは、とんとご無沙汰だなあと思って空を見上げる、今日のランチタイム。