モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

世界の構成物を知る ~発達障害児にとっての「勉強」~

四歳息子が、絵本棚から絵本を取り出しては黙々と読むようになりました。本を読んで!○○のご褒美に本を読んで!とせがまれるので、一日に何冊も何冊も、私は喉が痛くなるまで本を読み聞かせることも増え、読み終えては図書館に出かける毎日。

 

小さい子は絵本が好きですね、まる。いえいえ、私にとって、この息子の変化は衝撃以上の何者でもないのです。

 

ほんの一年前まで、息子は絵本を読み聞かせようとしても、最初の一行を読んだ時点で脱走していました。まず座らない、そして我慢ができないから、この子は絵本の読み聞かせは無理ね、と家族全員諦めていました。絵本の読み聞かせだけでなく、定期購読し始めた学習教材も全滅(鉛筆持たせようとすると脱走)、音楽聞かせるのも無理、このような状態なので習い事も全滅。体操教室もトランポリン教室も半ばクビになり、この子はこの先どうなってしまうのだろう…と気を揉む日々でした。

 

ようやく気を取り直して通わせ始めた療育で、息子は着実に成長をしていきました。そのときに、療育の先生がおっしゃった言葉が私の中で大きなヒントとなったのです。

 

「お母さん、この子はパターンから入るとうまくいくよ。」

 

先日、自閉症の東田直樹さんのドキュメンタリーをたまたま見ることができました。東田直樹さんは、あんなに美しい言葉をパソコンでつむいでいるけれど、発語はできません。東田さんは自分の意思を話すときに、お母様御手製のローマ字のボードを使って話します。「僕は」というのを「B O K U W A」とアルファベットを手で押さえることによって言葉を「発する」のです。

 

息子は公文をやり始めてから、「言葉」は平仮名の集合体であることを学び、「数」の概念を知りました。その途端に、彼にとって今まで「脅威」だったものが「興味」に変わり始めたのです。お母さんが読み聞かせてくれる絵本は、「言葉」の集合であり、「言葉」は平仮名の集合なのだ、と分かった途端に、絵本の世界は彼の「コントロール可能な世界」へと変わっていったのだと思います。

 

そして私は分かったのでした。「発達障害児/者は学力が高くて高学歴なのに、人とのコミュニケーションが取れない」という世間の認識が間違っているということを。発達障害の子どもにとって、「何がなんだか分からない混沌としたもの」というのはとても怖いもので、「構成物や原理を知ることは、怖い世界を自分の興味のある世界に変えるために不可欠なこと」であるということ。

 

息子は文字数字という世界の構成物を知ったことで、今度は地図や人体図にまで興味の範囲が広がりました。彼は、怪我をして血が流れたときに以前はひどくパニックになっていましたが、「この下には血管が通っていて、この血を止めるためにかさぶたになる」という流れを絵本で勉強した後は、血が流れることが「恐怖」ではなく「興味」に変わりました。血が出ると、面白がって観察しています。何日も何日も観察し続けています。全てのものに「構造」が存在し、それを構成するパターンがある、ということが分かったことで、彼の世界は大きな広がりを見せ始めました。それまでは恐怖から逃れるために、小さな小さな拘りに逃げ込んでいたのに。

 

昨日から、彼は幼稚園で15分だけのなんちゃってピアノレッスンを始めました。音楽性を養ってもらいたいなんて微塵も思ってません。そうではなくて、「音符」というコードが音楽を構成していることを知ったとき、彼の世界はまた一つ恐怖が興味に転換されるはずだと思ったのです。

 

そうだ、「勉強」という響きにおされて、勉強をさせることに身構えてしまう人は多いけれど、本来勉強というものは混沌とした世界を、自分のコントロールできるものに変えるためにあるんじゃないか。コントロールして初めて湧いてくる、興味、探究心。世界が少しずつ、自分の説明できるものになる喜び。

 

今日も一日頑張ろう。