モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

我がなすことは我のみぞ知る

息子の発達障害傾向が分かってから、本当に奇跡的な出会いが沢山あり、今は発達障害のお子さんがいるお母さんたちとの交流に忙しくしています。ほとんどが娘の小学校のママさんたちです。フェイスブックでグループを作って情報交換をしたり、ちょっとしたランチ会を開いたり。聞いてみたら、パパやママ自身も発達障害の傾向があって、長いこと生きづらかったということが多く、どことなく似たもの同士の心地よさがあります。

 

今思えば、自分の人生はいつ終わるとも知れない「居場所探し」の時間でした。

 

私はかなり早い段階で自分がどこか周りとズレていることに気付き、なんとか「普通」の人たちの真似をして修正しようとし続けては挫折し、自己嫌悪の気持ちは募るばかり。やがて、自分が空気のように溶け込める場所がないかと探し続けるようになりました。

 

今思い出しても最大の挫折期は大学の頃。頭が良くて要領の良い男女が充実したキャンパスライフを謳歌するなかで、私は友達作りに躓きました。クラスがあった中学高校時代に比べ、どこから友達を作っていいのか皆目見当がつかない大学という場所。次第に登校途中のバスの中でパニックを起こすようになりました。日に日に気持ちが沈んでいく私に、ある同級生が投げかけた言葉。「変な自分をさらけ出して受け入れてくれるほど、大学の友達なんて甘くないよ」

 

「普通の人」のほうから見て「変な人」というのはこういう認識なんでしょう。努力でなんとかするべきだし、なんとかなるものだと思っているのでしょう。私はこの絶望的な感覚の違いに、もう周囲に心を開くことはやめようと決めました。

 

あのまま状況が変わらなければ、私は遅かれ早かれ大学を辞めていたでしょう。あるいは、大学に行くことが出来なくなっていたかもしれない。それが大きく変化したのは、知人に誘われて演劇サークルに連れていかれてからでした。

 

「ヒロインの女の子が足を怪我して公演に出られなくなった。良かったら、代打で出てみないか。」

 

演劇?なんじゃそりゃ?自分が舞台に?冷静になる間もなく演劇サークルの顔合わせに連れていかれ、私はそこで大学生活に溶け込めずにいるちょっと変わった面白い人たちと沢山出会うことになりました。

 

部長さんは、当時では珍しい、「成人でADHDの診断を受けている」という人でした。当時の私はADHDという単語の意味すら分かりません。でもとにかく、落ち着きのない部長さんだったのは覚えています(笑。空気は超絶に変な人でしたが、しかし彼の書く脚本は超一流でした。人としては難しい人でしたが、彼の脚本がなければ、あの演劇サークルは成り立ちませんでした。

 

私はそこで、夫と出会いました。

 

夫はあの演劇サークルの中ではかなりバランスの取れた人付き合いの上手な人でした。夫には「モビゾウさんは人の話を聞かない」「ちょっと落ち着いて人の話を聞け」と再三注意されていましたが、それでもうつむいて歩いてきた私が前を見て歩けるようになったのは、当時の夫が言った一言のおかげでした。

 

「あなたは、運命を引き寄せる強い力がある」

 

ADHDの部長さん、とんでもなく変わっているサークルメンバー、そして私の変なところを丸ごと受け入れて評価してくれた夫、このおかしな集団の中で、私の大学生活は大きく変わっていったのでした。ADHDの部長さんが書いた珠玉の脚本の中に、坂本龍馬の言葉の引用があって、それは今読んでも涙が出そうになります。

 

 「世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る」

 

「普通と違う」ことに苦しみ続けてきたからこそ、部長さんはこの言葉を脚本に引用したのでしょうし、「普通と違う」ことに苦しみ続けてきた私だったから、この言葉に強く打たれたのだと思います。

 

周囲にうまく溶け込むことのできない人生は、長く、辛かった。でも、だからこそ、探し続けてきた「居場所」が見つかったときの喜びと充実感は大きかったのです。

 

今、私は息子の発達障害のおかげで(?)、また新しい「居場所」を作りつつあります。

 

「居場所」を作りにくい人というのはいます。どこにでも馴染めるわけではない人はいます。そして「居場所」というのは自分という人間が何たるかを知らなければ、なかなかできません。何が居心地が良いのか、何が楽しいのか、「普通は何か」という考えから離れて自分を見つめなければそれは見えてきません。

 

「普通になりたい」という気持ちをあきらめて、自分が何に心地よいか何が楽しいかを見極めたとき、素敵な仲間や居場所が見つかるんだと思います。