モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

依存症は結構身近なものかもしれない

気づかれた方もいるかと思いますが、少し前から意図的にツイッターの更新を止めています。結果、自分は結構な感じで、ツイッター依存症だったのかもしれない…と分かり、止めてみて初めて震えました(笑

 

先日、こちらの本(Amazon.co.jp: 忘れる技術―思い出したくない過去を乗り越える11の方法: 岡野 憲一郎: 本)で、「精神科医であるにも関わらず薬物依存に陥った人」という人についての章をたまたま読んだときに、私はとても動揺しました。依存というのは、「自分は絶対に大丈夫」と思っている人のほうが案外危ないという落とし穴。そして、それは実は遥か遠いどこかで起こっている話ではなく、とても身近で当たり前のように起こっている何かだったりする…。

 

最初に「ツイッターちょっとやめてみる?」と言ってくれたのは夫でした。夫は私が一日中、ツイッターの反応に一喜一憂していたのを知っていたからです。現実の人間関係も仕事も何も問題がない状態であるにも関わらず、ツイッターという世界での人間関係が私の一日の感情の全てを支配していました。

 

「僕がパスワードを変更しておく。使いたいときは僕に言って。僕の前でだけ使おう。」

 

正直私はとても動揺しました。今思えばなぜそんなに動揺したのか分からないけれども、当時の私は「ツイッターのない生活」というものが恐怖でした。

 

隠し立てなく言いますが、ツイッターを止めて最初の三日間はとてもしんどかったです。最初の一日目は完全に鬱状態。頭が全く働かないのです。頭にモヤがかかったような状態が続き、さらに恐ろしいことには、ボーっとしているとツイッターのタイムラインの画像が目の前にスルーっスルーっとスクロールして見える状態。車を運転していても、料理をしていても、仕事をしていても、ツイッターの画面がスルーっと出てくる。

 

さらには、思考が全て140文字で切り取られる現象が自分の頭の中に起きていたことに愕然としました。目の前で何か起きたり、何かを考えたりするたびに、140文字程度にまとめられた言葉が何度も何度も頭に浮かんできます。

 

最初の二日間は、何とも言えないザワザワとした気持ちの中で過ごしました。「今、夫に頼み込んでツイッターをやれば、気持ちが落ち着く。夜だけでもいじらせてもらおうか。」とか考えていました。今思うと、立派な依存症になっていたのだと思います。

 

ちなみに三日間を過ぎたあたりから、体も気持ちも相当楽になりました。ツイッターのない生活に、慣れました。最初の三日間で一度でもくじけて触れてしまったら、また依存に逆戻りしていたと思います。

 

今回は実験的にツイッター断ちをやってみましたが、生活の中で思いのほか身近なものに依存してしまっているケースって結構あるんじゃないかなあと思います。「やめてみる?」と言われて動揺してしまうケースは、ちょっと危険なラインかもしれませんね。

 

ツイッターを一時中止してから、思いのほか毎日が平和なので、しばらく距離を置いてみようと思います。ブログの更新のみ、ツイッターでお知らせする形をもうしばらく続けてみようかと思います。