モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

LINEがなぜしんどかったか

昨晩、ツイッターでこんなブログが取り上げられていました。

 

LINE は確かに人を殺すかも|在宅生徒会長

 

これを読んで、「中高生のネットとの付き合い方」について思いを巡らせた方、あるいは「昔からこの手のハブリは手紙等を使って行われていたので、ツールが変わっただけ。ネットだから怖い、というわけではない」という意見の方、いろいろ目にすることができて面白かったです。

 

私個人の感想として、確かにこの手のハブリやイジメはツールは違えど昔から存在していた、けれども、やはりLINEというツールの特殊性について考えることなしに、「手紙と根本的には変わらない」と言い切ってしまうことはできないかなと。

 

実は、私も大人になってからLINEのコミュニケーションで窮地に追い込まれた経験があります。私もあまり状況を考えずに衝動的に行動/発言するところがあり(笑、私のちょっとした行動に対してグループの中の人物が怒りはじめたことがありました。

 

「ちょっともやっとしたから言わせてもらう」

「なぜこんなことをした?」

「あなたの軽率な行動のせいで、このグループへの安心感が消えた」

 

この言葉から始まって、ものすごい高速で、次から次に彼女の怒りが文字になって表示され始めました。

 

私は人に叱られるのが苦手なので、慌てふためいてしまい、手はガタガタ震え、心臓はドキドキし始めました。彼女の怒りをおさめたいという気持ちよりも、とにかく次から次に流れてくる刃のような言葉の羅列をなんとかして食い止めようと必死でした。

 

「分かった、本当にごめんなさい」

「私が悪かったから、もうやめて」

「怒るのやめて」

「ごめんなさい」

 

私の送る文字は、彼女の怒りの言葉の連続の間に、存在感なく表示されていくだけでした。

 

グループ内の他の人たちは、見て見ぬふり。唯一、怒っている彼女の子分のような女の子が、

 

「これは彼女の愛だよ」

「イヤなことをイヤと言ってもらえることに感謝しなよ」

 

と私をさらに追い込む言葉を言うのでした。

 

現実世界でもこの手のゴタモメと上下関係は存在するでしょう。根本的にはそれと同じなのかもしれません。ただ、一つだけ決定的に違うこと。それは、24時間、LINEのグループは繋がっているということ。そして、居心地の悪いグループから脱退が容易ではないこと。

 

私はこのもめ事が起こるだいぶ前から、LINEに辛さを感じ始めていました。朝の「おはよう」から始まり、夜の「おやすみ」まで、下手すると職場の昼休みにもメッセージは送り送られ続けました。朝起きると、すでに「未読10件」の表示。夜、少し疲れて早めに休むと、夜の会話も入れて、未読は100件以上にもなりました。

 

私はそもそも人との距離感をつかむのに時間がかかるタイプなので、固定化されたグループの中で一日の行動が縛られてしまうコミュニケーションに、苦痛を感じるようになりました。「少ししんどくなってきたので、抜けさせて欲しい」と私が訴えたところ、「そうやって大切なものをぶった切って今まで生きてきたの?」という言葉が返ってきました。今までの自分を変えなきゃ、仲良くなってはぶった切る性格は直していかなきゃ、何度も気を取り直しては、「ああ、辛い…」とうめいていました。そのさなか、私の軽率な行動が友達を切れさせたのでした。

 

そして私はLINEをやめました。

 

大人になって何が良かったって、もう無理をしなくて良くなったことでした。嫌いな人とは適当に距離を置いていい。どこかのグループで気まずくなったら、もっと居心地の良いグループに乗り換えればいい。そもそもグループづきあいが苦手なら、一人で生きていけばいい。

 

中学生高校生の頃の、「特定のグループから外されたら、もう自分の世界は終わる」という切迫感が大人の世界にはなく、私は大人になってやっと「好きな人とだけ、好きなように付き合っていける」 ことを満喫していました。

 

さらに、大人は人間づきあい以外にやることがいっぱいあるのです。仕事も忙しいし、家に帰ったら子供たちの世話にあけくれる。家事をやっと済ませて子供たちと寝床に入ると、吸い込まれるように眠りに落ちてしまう。この大人独特の忙しさのなかで、例え職場やママ友関係でイヤなことが多少あっても、場面が切り替わってバタバタしているうちに私は忘れてしまうのです。私はそれが本当に幸せでした。とにかく大人はイヤなことを考えている暇がない!これが中学生高校生のときだったら、学校のグループは自分の世界の全てでしたから、うまいこと逃避もできず、家にいても何をしていても考え込んでいたものです。

 

LINEは、私から「大人の世界の良さ」を全て奪うものでした。

 

「好きな人とだけ、好きなように、無理しないで付き合う」ことも。

「あれこれ忙しく過ごしているうちに、イヤなことから逃れられる」ことも。

 

だから、私はLINEをやめたのでした。

 

LINEは、手紙等による昔から存在したハブリツールと根本的には変わらないという意見も納得できるものではあります。が、やはり私は脱退の自由度の低いグループに24時間拘束されるしんどさは、LINEの特徴として無視できないのではないかと思ってしまうのでした。