モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

「天才少女/少年」という自己イメージの修正

先週の水曜日だったか、家族全員の手をおおいに煩わせ続けた息子(三歳)が、支援センターの発達相談にて「発達障害の傾向あり」という告知を受けた。この結果を聞いて、私と夫は「なーんだやっぱりね」ぐらいの気持ちにしかならず、むしろ「傾向が分かったから対策が取れる」という安堵感すらあった。

 

しかし多くの人たちにとって、「子供が発達障害の傾向がありました」というカミングアウトは反応に困る事らしく、「どうかお気を落とさないで」とそそくさと場を去る人、「えー!全然そんな風に見えないよ、大丈夫だよ」と言う人、さまざまであった。そしてなんといっても一番多かった反応は、「天才なんだー!」というものである。

 

これについてはいろいろ書きたいことはあるが、私自身(恐らく発達障害的要素を部分的に持っていた)が幼い頃に「天才」とか「ただものじゃない」とか言う言葉で形容され続けてきた。

 

発達障害の子供の持つある種の特異性というのは、多くの人に「天才」という言葉を想起させるものである。私に関して言えば、「天才」「ちょっと常人と違う」と言われることによって、幼い頃から自己愛だけはどんどん強くなっていった。しかし「私は他の人とは違う何かが出来る人間だ」という肥大化した自己愛とは裏腹に、誰もが簡単にできることがいつもできず、底の底まで下がっていく自己評価に苦しんだ。

 

だから私は息子を「天才少年」と形容することに非常に抵抗がある。彼は面白い。彼はいいものを持っている。彼は素敵だ。私は彼が好きだ。でも、「天才少年」とは言いたくない。

 

大人になってからの私は、うつ病を発症したり親との関係に疲弊したりといった苦しい期間を経るわけだが、そのときの私にとって一番大切な作業は「肥大化した自己愛」と「底に落ちた自己評価」の間のギャップを埋めていくことであった。「私は普通の人とは違う何かすごいことができる」「私は天才少女だ」と思っている間は、私は何をしても自分を褒めてあげることができず、「今ここにある自分」から目をそらし続けていた。「今ここにある自分」から目をそらして「どこかにいるすごい自分」を探し続けていた。

 

ちょっと文章が面白いと褒められれば「ライターになりたい」と思い、ちょっと絵がうまいと言われれば「イラストレータもいいかもしれない」と思い、ちょっと社交的だと言われれば「社長になろうか」と考えた。周囲からすれば「いろいろ楽しそう」な人ではあったかもしれないが、私の辛さは増すばかりだった。影響力のある人たちに依存しては、「どこかにいるすごい自分」をその人たちに重ねた。

 

いつからだろうか、自分のどうにもならない生きづらさが、肩の力の抜けた生きやすさへと変わっていったのは?それは紛れもなく、「今ここにある自分」に目を向けるようになってからであった。大学院の博士課程を中途退学した後、私は派遣社員として翻訳の仕事をしていた。私にとっては翻訳という仕事も、何よりも「派遣社員」という立場そのものが、「天才少女」の肥大化した自己愛にはそぐわないものであった。仕事の合間にいつも求人情報をチェックしていたし、派遣先の中小企業もそのスタッフも、「自分とはレベルが違う」と思っていつも見下していた。翻訳という仕事も、「自分には合わない」「ただ英語を訳すだけの仕事」と思い、大嫌いだった。

 

けれども自分が幸せな毎日を送ることができるようになったターニングポイントと言えば、半径50mの人に感謝し、今ここにある仕事が面白いと思えるようになってからであった。つまり、「今ここにいる自分」に目を向けられるようになってからである。それは「天才少女」の肥大化した自己愛と、底に落ちた自己評価の統合がなされたとき、と言っても良いだろう。

 

「ここではないどこか」に自分はいない。自分はここにいるだけだ。

 

息子に「天才」と声をかけてくださる方々に感謝しつつも、息子と「今ここにある自分」をどうやって見つめていくか、慈しんでいくか、発達障害の傾向を告知されたとき、私はそんなことをぼんやり考えていた。