モビゾウ研究室

ツイッター(@Movizoo)で語りきれなかったこと

「ごめんなさい」の引き寄せるもの

ここ数日、#アホ男子母死亡かるた 界隈で、非常に後味の宜しくない展開を目にしておりました。もう今さら私が経緯をゴタゴタ書くようなものでもないので、そのあたりは省略します。経緯は以下のリンク先で既に詳細に説明済。

 

「アホ男子かるた出版の件」スズコ、考える

 

#アホ男子母死亡かるた togetter まとめ

 

これなあ、出版社からの仕事を受けた著者(イラストレータ)さんも各所各所で脇が甘くて、とにかく駆け出しの自分に大仕事がきたっていうんで、この出版社のきな臭さに嗅覚が働かなかったんだろなあ。とはいえ、仕事として金もらうものなわけだから、「一主婦にそんなこと言われても…」という言い訳はあまり褒められたものではないとは思うけども。ほんでもこのイラストレータさん、今何考えてるのかなあ、と考えて、なんとなく気分が塞いでしまうわけです。お節介は承知のうえで。

 

実は私の義妹はフリーのイラストレータをやってまして。フリーになって三年目、ようやく最近はレギュラーの仕事も増えてきて、売れっ子の仲間入りしてますけど。会社辞めて独立したての頃の彼女の必死さとか、もう思い出すに壮絶なもので。仕事がこねえ、だけどプロフィールに実績がなきゃますます仕事はこねえ、彼女、親戚の個人商店のチラシ作ったり、父母姉妹の名刺作ったりして、「名刺作成」「○○商店様のパンフレット作成」とかを実績にしてましたがな。さらに画廊を親に借金して借りて、無理くり個展とかやってました。とにかく、「仕事があるふりをする」「何が何でもプロのイラストレータと言い続ける」という壮大な見栄を張り続け、気づいたらあれよあれよという間に売れっ子になってしまいました。

 

私はこういう壮大な見栄を張る精神力がないので、フリーには絶対なれないと思っています。これも一つの強さです。

 

んでまあ、こういう「喉から手が出るほど実績が欲しい」人間の特性をよーく分かって、そこにアグラかいて悪質な仕事をさせようとする出版社もいるだろうよ、と義妹を見ていてずっと感じていたわけですが、今回図らずもその現場を見てしまった感じでした。今回、パクリ本に絵をつけたイラストレータさんから沁みだす素人っぽさ、脇の甘さを、この悪質出版社は一瞬で見抜いたのだと思います。(だからと言ってイラストレータさんを被害者/犠牲者扱いするものではありません、念のため)

 

実はこれ、別にイラストレータやその他フリーの職種に限った話ではないと思うのです。人の弱みにつけこんで、不当に労働力を搾取しようという会社や経営者なんてこの世に溢れています。「法律に違反してないんだからいいだろう」と法律の隙間をかいくぐって、他人の心を踏みにじる人たちなんて掃いて捨てるほどいます。

 

私も不思議なことに、そういう会社や経営者とばかりご縁があった時期がありました。一番ひどかったのは大学院を中退し、仕事を探していた時期だったと思います。大学院の博士課程中退なんぞというのは、就職活動には何のプラスにもなりません(少しはプラスになるかと思ったが、全然。むしろ最初からマイナス何個もつく状態でした)。さらに私には、当時一歳の娘がいました。幸い保育園には既に入所していましたが、まだまだ熱を出して保育園からお呼び出し…と言う日が冬には何度か発生していました。

 

仕事を探すために最初に行ったのがハローワーク。そこで、「残業できませんよね?」「急なお迎えのときはどうしますか?」という質問をされました。「とにかく面接の予約だけでも取れませんか」と斡旋のスタッフさんに頼み込み、その場で人事に電話をかけてもらいました。何を話しているのか、一発で分かりました。斡旋のスタッフさんが、「えーと、職歴、職歴はナシです!!アルバイトぐらいはやったことがあるみたいですけど。事務経験もナシ!」と説明しているのが聞こえました。私の特技(スキル)なんて何も話に出ない。職歴ナシ=スキルなし、の現実。

 

その後、私は大手の派遣会社にいくつか登録しました。「子どもの急なお迎えのときはどうしますか?」という質問には、もう「親が手伝ってくれます」と嘘をついて乗り切ることにしました。でも、「ずっと大学院に行っていて、職歴がない」ということだけは、どうやっても乗り越えることができませんでした。派遣会社はいつまでたっても仕事を紹介してくれず、電話の前で待ち続ける自分が情けなくて泣けました。学歴より職歴、この現実。

 

「自分は労働者としては市場価値ゼロかあるいはマイナスの人材なのだ」

 

「こんなどうしようもない私でも使ってくれるところだったら何でも感謝だ」

 

「誰でもいい、使ってください」

 

大学院中退した当初は、「自分を欲しい会社はいくらでもあるだろう」という気持ちでいたのに、私の自己評価はここまで下がっていきました。「こんな私でも良ければ、使ってください。お願いします。」そう思い始めたとき、以前登録していた派遣会社から突然連絡がありました。紹介された案件は、(今の自分から見れば(笑))明らかにきな臭さ満載のものでした。「社員は社長とオーナーともう一人の三人だけ。少人数で和気あいあいとしています。(←出た!「和気あいあい」!)」「以前、派遣していたスタッフが社長さんと合わず、契約取り消しになりまして」とのことでした。

 

働き始めて分かったのですが、社長はオーナーの愛人。派遣スタッフは社長のいびりで半年で六人も入れ換わっていました。私はこの社長のいびりのために数週間で急激に鬱が悪化し、最後は半分逃げ出すようにして職場を辞めました。このときの恐怖体験は、その後一年ぐらいはずっと夢に出てくるほど、自分の心にダメージを与えるものでした。

 

「職歴なくてごめんなさい」「スキルなくてごめんなさい」「小さい子どもがいてごめんなさい」

 

沢山の「ごめんなさい」が生み出す臭気を、悪質な経営者や会社はチスイコウモリのように嗅ぎ分けて寄ってきます。そして沢山の「ごめんなさい」があると、こういう悪質な人々から発せられる「きな臭さ」に、いざ自分自身が「アレっ?」と思っても、「まあいいや、考えないことにしよう」と思考が遮断されてしまうのです。そしてループは途切れることなく繰り返されます。「ごめんなさい」を心に抱えている限り。

 

今回は悪質な出版社が出版を無期延期にしたということで、ツイッター民の怒りが無駄にならなかったという(後味は悪いが)それなりの前例にはなったと思います。でも、弱い人間の心にアグラをかく悪質な人々というのは、やっぱりなかなかなくならないと思います。だから、やっぱりこういう人たちに好かれない体質というのを身につけるしかないんです。良い経営者、善良な人々に好いてもらえるような体質を作っていくしかないんです。

 

結論から言えば、私は悪質な経営者のいた会社は夜逃げ同然で辞め、その後は小規模経営の派遣会社の社長さんに拾って頂き、メーカーで翻訳の仕事をすることとなりました。そこでも、そして転職した今も、本当に上司にも同僚にも恵まれてきたと思います。それは、沢山の「ごめんなさい」を、毎日仕事をしながら少しずつ少しずつ捨てていったからでした。私でも人にありがとうって言われるんだなあ…と気づき始めたときから、人生の流れが少しずつ変わっていったように思います。

 

一年前、二回目の就職活動をしたときには、もう自分は「職場を選べる」状態になっていました。いくつか提示された選択肢のなかで、一番自分が納得のいく職場を選ぶことができました。

 

悪い人はいなくなりません。

 

何度かそういう人に利用されるという失敗を積み重ねて経験値を積むという方法もありますが、そういう人に利用された後のダメージの大きさというのは計り知れません。下手すると、何年も立ち直れないぐらいのダメージになります。

 

そんな大きなダメージを負って、それでも立ち直って頑張れればそれでいい。だけど頑張れずに折れてしまう人だってたくさんいると思うんです。

 

だから、心の中の「ごめんなさい」を少しずつ降ろしていくこと。悪質な人に人生を奪われないように。悪質な人々の臭気に、いちはやく反応して距離を取れるように。